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茗荷谷山城(富山県上市町) [古城めぐり(富山)]

DSCN7618.JPG←主郭
 茗荷谷山城は、弓庄城主土肥氏の支城である。弓庄系土肥氏は、白岩川・大岩川流域に高原城-弓庄城-柿沢城-茗荷谷山城という城館群を築いており、これらは弓庄城を本拠とし、その支城群と捉えられる。茗荷谷山城は弓庄城主土肥美作守政繁の「奥城」で、城主は政繁が兼帯していたとも言われる。或いは土肥左衛門の名も伝わっている。弓庄城系統の城館群では最奥の最高所に築かれており、最終的に籠城するべく築かれた城と推測される。しかし弓庄系土肥氏は、1582~3年に佐々成政の攻撃を受けた際、平地の弓庄城に籠城し、遂に茗荷谷山の奥城に拠ることなく、成政と和を結んで越後へ退去した。

 茗荷谷山城は、標高446.5mの峻険な城ヶ平山に築かれている。トレッキングで有名な山らしく、登山者が多数おり、西麓の日石寺付近にある駐車場は車が入り切らず路肩駐車している車が多数あった。山頂の主郭までの比高は312mもあるが、登山道が整備されているので、時間は掛かるが迷わず登ることができる。登り始めてしばらくすると、西向きの緩斜面に段々の平場が残っている。石積みもあり、昔の畑跡と思われるが、木戸口の様な部分や平場手前の横堀の様な地形があり、往時の遺構である可能性も捨てきれない。登り始めて25分ほどすると、南西尾根に穿たれた最初の堀切に行き当たる。中規模で、しっかりした普請がされている。その先には散発的に堀切や曲輪らしい平場が現れるが、やや不明瞭である。主郭手前は急登の連続となり、数段の段曲輪を経てようやく主郭に至る。主郭はトレッキングの山らしく、全周の眺望がひらけ、富山湾が一望できる他、剱岳もよく見える。しかし曲輪としては削平が甘く、塁線もはっきりせず、ほとんど自然地形に近い。主郭の北には堀切を挟んで平場があり、その先で尾根は東と北に分かれる。登山道は東尾根に続いており、これを降っていくと、2本の堀切が間隔を空けて穿たれている。ここの堀切も中規模でしっかり穿たれている。一方、北尾根の方は未整備の劇薮で、堀切はかろうじて分かる程度であるが北端に物見台があるのが確認できる。以上が、茗荷谷山城の遺構で、堀切などが広範囲に散在し、求心性のない縄張りであるが、それは山の地形自体を最大の武器としているからだろう。眺望が素晴らしいので、天気の良い日に登りたい城である。
南西尾根の堀切→DSCN7567.JPG
DSCN7635.JPG←東尾根の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.666156/137.402637/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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