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門崎城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN0289.JPG←二ノ郭から見た主郭切岸
 門崎(かんざき)城は、奥州千葉氏の一流門崎氏の居城である。門崎氏には、前期門崎氏と後期門崎氏があったらしい。前期門崎氏は薄衣城主薄衣千葉氏の庶流で、薄衣清純の次男修理亮胤村により築かれたとも言われるが、詳細は不明。1498年に薄衣城主薄衣美濃入道が大崎氏の内紛に巻き込まれて、主君葛西政信の大軍の攻撃を受けた時には、門崎氏は薄衣美濃入道に与して敗れ、没落した。その後、永正年間(1504~21年)頃に気仙郡の浜田氏(浜田千葉氏)の一族浜田安房守盛糺が門崎村に入部し、その玄孫安芸守盛常の時に門崎氏を称したと言う(後期門崎氏)。1590年に豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易となると、門崎氏は伊達氏に仕え、門崎盛隆は1600年の白石の役などに功をあげたと伝わる。

 門崎城は、常堅寺南の標高110mの山上に築かれている。寺の墓地脇に登道があり、これを登っていくと西尾根の腰曲輪群に至る。城は、山頂に長円形の主郭を置き、その周囲に腰曲輪状の二ノ郭を配置している。二ノ郭は、背後に当たる東尾根に沿って東に伸びており、その先端を堀切で分断している。更に小郭をおいてもう1本の堀切で区画して城域が終わっている。一方、主郭の西側下方には三ノ郭があり、外周に腰曲輪を築き、更に西側に四ノ郭とそれに付随する腰曲輪群を配置している。前述の墓地脇の道は、この腰曲輪群に通じている。遺構はよく残っているが、主郭・二ノ郭は一部薮多く、少々辟易する。また城址標柱が二ノ郭にあったらしいが見つからなかった。尚、腰曲輪群を登っていったら、雉らしい母子がいて、母鳥と雛が別方向に飛んでいった。雛がそのままはぐれてしまっていなければいいが・・・。
二ノ郭東の堀切→DSCN0294.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.928559/141.264750/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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