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松川内館(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN0363.JPG←主郭から見た二ノ郭・腰曲輪
 松川内館は、松川城とも言い、薄衣城主薄衣千葉氏の庶流松川千葉氏の居城である。1343年に薄衣清堅(清純)の4男隼人正村がこの地に分封され、松川氏の祖となり、内館を居城とした。以後、宗家の薄衣氏を支えながら活動した。1507年、薄衣一族の朝日館主金沢伊豆冬胤が、熊谷掃部直時・高森城主奈良坂信置と共に、峠城主寺崎時胤と合戦し、金沢方が勝利した。この時、松川城主松川太郎三郎胤広は、寺崎方に与したが、敗戦の中で討死したと言う。松川氏は、薄衣城主薄衣清貞の弟信胤が跡を継いだ。その3年後の1510年、今度は薄衣清貞が、弟松川信胤とその子胤光らの加勢を得て金沢冬胤の拠る金沢郷を攻撃した。しかし戦いは金沢方の勝利に帰し、松川胤光が戦死した。1590年、10代民部信胤の時に主家葛西氏が奥州仕置で改易されて没落した。信胤は病弱で、弟の主水胤好が兄の陣代として同年10月に生起した葛西大崎一揆に出陣したが、桃生郡深谷において伊達勢に謀殺された。この後、信胤は出羽国稲二把邑で没したと伝えられる。

 松川内館は、砂鉄川の東岸にある比高40m程の小高い丘に築かれている。全域が公園化されており、遺構がよく確認できる。しかも主郭直下まで車で行けるので、訪城もお手軽である。南北に長く弓形になった丘陵上に、北から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭・四ノ郭を配置し、外周に腰曲輪を廻らした縄張りとなっている。主郭には古館明神社が鎮座している。主郭には土塁は築かれていないが、面積は広く、綺麗に削平され、周囲をしっかりした切岸で防御している。東西には腰曲輪が築かれ、南の二ノ郭との間は深い堀切で分断している。二ノ郭は中央がややくびれた鼓形をした曲輪で、東西に腰曲輪があり、南の三ノ郭との間に大きな円弧状の堀切を穿っている。三ノ郭は舌状のなだらかな緩斜面で、東西に腰曲輪があり、中央西側に虎口が築かれている。三ノ郭の南西先端にもL字型に空堀が穿たれている。その先は緩斜面になった四ノ郭で、その外周にも腰曲輪がある。以上が松川内館の遺構で、低丘陵を利用した大型の館城で、なかなか見応えがある。
主郭~二ノ郭間の堀切→DSCN0391.JPG
DSCN0417.JPG←二ノ郭~三ノ郭間の円弧状堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.953994/141.252337/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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