SSブログ

江刺家楯(岩手県九戸村) [古城めぐり(岩手)]

DSCN0773.JPG←北側の二重横掘
 江刺家楯(江刺家館)は、歴史不詳の城館である。室町時代に九戸信伸が居住したが、戦国時代に江刺家氏に交替したとも言われるが確証はない。江刺家氏についても、九戸氏の一族とも小軽米氏の一族とも伝えられる。1591年の九戸政実の乱の際の九戸城籠城衆に江刺家一照斎の名があり、また1600年に南部利直の配下として出羽に従軍した家臣の中に江刺家瀬兵衛の名があり、館主かその一族であった可能性もある。

 江刺家楯は、江刺家集落西方の緩斜面に築かれている。郭内が大きく傾斜した単郭の大型の館城で、外周を中規模の土塁と空堀で囲んでいる。岩手北部では座主楯と似た構造の城であるが、広さは倍以上ある一方で、郭内の斜度は半分以下となっている。主郭内は畑になっているが、段差で概ね3段程に分かれている。最上段には主殿があったと推測され、平坦な平場となっている。中段は東に向かってゆるく傾斜している。東側中央部が下段で、虎口を兼ねた曲輪になっていたと考えられる。主郭の東側は急斜面の段丘崖となっているが、南半分には帯曲輪と横掘が穿たれている。また主郭の外周には北西・西・南に土塁が築かれ、南東端には土塁で囲まれた虎口郭らしい小郭がある。主郭外周には前述の通り空堀が穿たれているが、北側の約半分と西側は二重横堀となっている。北側は、元は全部二重横掘であったと思われるが、耕地化と作業道敷設に伴う改変で、約半分が湮滅しているようである。また南の横堀は、『日本城郭大系』の縄張図では二重堀になっているので、これも改変で外堀が湮滅したらしい。北側横掘の土塁には、所々に竪堀状虎口が築かれている他、主郭北西部に当たる部分には独立堡塁が構築されている。独立堡塁の部分は、主郭の塁線も内側に屈曲して横矢掛りを意識している。横掘の外側は外郭があったと考えられており、西側に堀の一部が残っている。以上が江刺家楯の遺構で、しっかりした堀・土塁が外周に残り、見応えがある。
主郭→DSCN0869.JPG
DSCN0880.JPG←西の二重横掘

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.255302/141.408795/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント