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戸田楯(岩手県九戸村) [古城めぐり(岩手)]

DSCN1326.JPG←背後尾根の畝状竪堀
 戸田楯(戸田館)は、天正年間(1573~92年)に九戸城主九戸政実の家臣戸田帯刀重道の居城であったと伝えられる。元々は蝦夷館(チャシ?)だったものを改修した楯と推測されている。当時から四方に道路が通じる交通の要衝であったらしい。

 戸田楯は、比高30m程の居館部と、その東上にある要害部の2つから構成されている。北西麓に古い朽ちかけた城址標柱があり、また瀬月内川沿いの南西の民家の裏手(川土手沿いの小道の奥、見つけるのが大変だった)に真新しい標柱と解説板が立っている。城へは北斜面にわずかな獣道があり、これを辿って登った。最初に現れるのが、城の前面に当たる北斜面の腰曲輪群である。切岸で明確に区画された急斜面の曲輪群で、中段の中程には竪堀状の虎口も見られる。この腰曲輪群の東側には大竪堀が落ちている。大竪堀の東側の尾根には小郭が2段築かれている。この尾根の最上部は物見台になっており、ここに登る小型の枡形虎口がある。物見台から南にはやや幅のある尾根が伸びており、これが要害部である。要害部の西側下方には広い緩斜面が広がっており、これが居館部(主郭)と思われる。居館部は2段程の縦長の平場で構成されているようだ。要害部の背後の尾根にはわずかに段が見られ、最後部が最も高く、櫓台となっていて、祠が祀られている。この背後には尾根筋を遮断する堀切が穿たれている。堀切は、東側で横方向に折れて、横堀に変化して尾根と平行に伸びている。またこの横堀の付け根から東斜面に竪堀が落ちている。更にこの城では、堀切の背後の尾根の東側に畝状竪堀が穿たれている。岩手県内では初めて見る畝状竪堀で、背後尾根からの敵の接近を強く意識していることがわかる。比較的簡素な縄張りの城であるが、大竪堀・畝状竪堀など出色の遺構である。
北斜面の腰曲輪群→DSCN1269.JPG
DSCN1279.JPG←腰曲輪群東側の大竪堀
居館部の上段平場→DSCN1336.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.174127/141.433954/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世平山城
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