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北山城(富山県魚津市) [古城めぐり(富山)]

DSCN5415.JPG←北端の櫓台
 北山城は、松倉城を取り巻く支城群の一つである。『越中古城記』などによれば、椎名小八郎が城主であったと伝えられると言う。椎名小八郎の事績は不明であるが、魚津市の『松倉城郭群調査概要』では、永禄年間(1558~70年)に椎名康胤の養子として上杉謙信から送り込まれた長尾小四郎景直の誤伝ではないかと推測している。また北山城が上杉謙信に攻められて落城したとの伝承もあるらしい。いずれにしても、松倉城砦群の一という以外、詳細な歴史は不明である。

 北山城は、松倉城の北方約2.2kmの山上に築かれている。城内は公園化されており、車で直下の駐車場まで行くことができる。くの字になった幅の広い尾根上に主軸の曲輪を置き、東側の斜面に腰曲輪群を配している。ただいずれの曲輪もわずかな段差で区画されているだけで、堀切もなく、あまり明確な区分はない。曲輪の高さ関係から考えて。北半分が二ノ郭、南半分が主郭と考えられる。二ノ郭は北端に一段高い櫓台を置き、西に向かって緩やかに傾斜しており、そこに腰曲輪群がある。櫓台からは眺望がひらけ、富山湾が一望でき、遠くには能登半島が見える。櫓台の北側下方には堀切と土壇が置かれ、北の尾根筋を防御している。主郭はくの字に折れ曲がった曲輪で、削平が甘く、中央部の最高所から北と南西に向かって緩やかに傾斜している。くの字の主郭の内側(西側)に傾斜した平場群が配置されている。また主郭の南端にも堀切と土壇が築かれ、この防御構造は北端部と同じ形態となっている。主郭の東外周は防備が厳重で、しっかりした切岸の下に帯曲輪が構築され、間隔をおいて5本の竪堀が落ちている。主郭東には、やや形状がはっきりしないものの内枡形虎口が築かれており、帯曲輪に城道が通じ、その先では竪堀で動線遮断の処置をしている。北山城の遺構は以上で、佐伯氏が指摘している通り古いパターンの縄張りであるが、主郭東側だけ防備が厳重で、この辺りだけ戦国期に防備が増強されているように感じられた。
竪堀→DSCN5462.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.774032/137.442291/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集 2(東部編(下新川郡・黒部市・

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  • 作者: 佐伯哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本


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