SSブログ

上之段城(長野県木曽町) [古城めぐり(長野)]

DSCN4262.JPG←主郭東の堀切跡
 上之段城は、1509年に木曽氏17代義在が築いて新たな居城とした城である。木曽氏のそれ以前の居城は小丸山城であった。以後、義康・義昌と3代の居城となった。1555年8月に武田信玄が木曽に侵攻すると、時の当主義康は上之段城に、その子義昌が小丸山城に立て籠もったが、抗しきれずに降伏し、城は戦火から免れた。1582年、義昌は武田勝頼から離反して織田信長に寝返り、武田氏滅亡の直接の契機となった。その後、武田氏滅亡、本能寺の変、天正壬午の乱を経て、義昌は徳川家康に服属した。1584年に羽柴秀吉と徳川家康が小牧長久手の戦いで対陣すると、義昌は秀吉に通じ、徳川方の深志城主小笠原貞慶に攻撃され、上之段城は焼き払われた。

 上之段城は、木曽福島宿・上之段地区の東方にある丘陵上に築かれている。この丘陵は、木曽義仲と四天王を祀った五霊社があったことから五霊の山と呼ばれていたらしい。現在は木曽青峰高校のグラウンドとなり、大きく改変されている。グラウンドの南東に小山があるが、これが往時の主郭の一部であったらしいが、グラウンド造成で西側が大きく削られてしまったらしく、往時の形状は残っていない。東側の尾根との間に鞍部があるが、これが往時の堀切跡であるということで、唯一の現存遺構である。また二ノ郭はグラウンドとなってしまっていて、往時の姿を留めていない。結局、小丸山城と同様、解説板があるものの残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.848318/137.701993/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


いざ登る信濃の山城 絵地図で案内する戦国の舞台

いざ登る信濃の山城 絵地図で案内する戦国の舞台

  • 作者: 中嶋豊
  • 出版社/メーカー: 信濃毎日新聞社
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世平山城
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー