正光寺城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]
←主郭虎口と土塁
正光寺城は、下彦間の正光寺境内の裏にある。あまり知られていないので、期待せずに、まぁよくある居館跡だろうと思って行ったが、予想外に素晴らしい遺構だった。それほど大きい城ではないが、主郭の入り口には土塁と虎口が築かれ、周囲は大きな横堀で防御されている。虎口正面は広い土橋となっている。主郭背後は彦間川に面した急崖となっている要害の地で、横堀はそのまま崖の斜面に接続して掘り切っている。周囲を巡ると、広い平坦地に土塁の遺構らしきものも散見されるので、周囲に曲輪があったようである。また寺の墓地の南側の林の中も広い平坦地となっているので、ここも居館などがあったのかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.403125/139.503880/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
正光寺城は、下彦間の正光寺境内の裏にある。あまり知られていないので、期待せずに、まぁよくある居館跡だろうと思って行ったが、予想外に素晴らしい遺構だった。それほど大きい城ではないが、主郭の入り口には土塁と虎口が築かれ、周囲は大きな横堀で防御されている。虎口正面は広い土橋となっている。主郭背後は彦間川に面した急崖となっている要害の地で、横堀はそのまま崖の斜面に接続して掘り切っている。周囲を巡ると、広い平坦地に土塁の遺構らしきものも散見されるので、周囲に曲輪があったようである。また寺の墓地の南側の林の中も広い平坦地となっているので、ここも居館などがあったのかもしれない。
主郭周囲の横堀→
なお、寺の境内には、1585年の須花坂の戦いで戦死した佐野宗綱とその将士の墓がある。それから推察すると、ここは足利長尾氏に対する、佐野氏の国境防衛拠点の一つであったのだろう。佐野氏はその後、次の当主に北条氏政の弟氏忠を迎え入れ、ここに佐野氏は小田原北条氏の勢力下に置かれることになったのである。お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.403125/139.503880/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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