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松山城(山形県酒田市) [古城めぐり(山形)]

DSC06590.JPG←本丸土塁と水堀跡
 松山城といえば西国や四国の松山城が有名であるが、この出羽の地にも松山城がある。この松山城は、もともと中山館という居館があった場所に、最上氏改易後、庄内に入封してきた酒井忠勝が死に臨んで三男の忠恒をこの地に分封することを幕府に要請して許されたことに始まる。従って、徳川幕府体制が敷かれてからできた純然たる近世城郭である。その後、庄内藩の支藩として中山藩(のちに松山藩と改称)として幕末まで存続した。

 松山城は、そのような経緯で平和な時代に築かれた城であるので、要害性を持たない平城である。本丸を中心に三ノ丸まで有した、そこそこの規模を持った城であったようだが、残念ながら市街化によってその遺構はほとんど湮滅している。かつての大手門付近には松山歴史公園が作られていて、大手門が現存するほか、周囲の水堀跡が庭園に、また馬出しの土塁が駐車場脇に残っている。大手門は威風堂々とした建造物で、小藩ながら大名家(2万5000石)としての勢威を示しているようだ。そのほかでは、公園の北東に本丸の土塁と堀跡が数十mにわたって残っていて、これがもっとも城郭らしい部分であろう。ほかに民有地の奥にも土塁らしいものが遠目に見られたが、入っていくことができなそうなので断念した。三ノ丸外堀も残っているようだが、今回は見逃してしまった。また、街中のいたるところに番所跡などの標柱が建っているので、時間があれば周囲を散策すると面白いだろう。
 堂々とした大手門だけでも一見の価値ある城である。
現存する大手門→DSC06564.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.859861/139.958138/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:近世平城
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コメント 2

ノリパ

立派な大手門ですね。土塁と堀跡は、昔のままに残っているんでしょうね。

by ノリパ (2008-12-23 18:31) 

アテンザ23Z

堀はかなり埋められているようですが、土塁はほぼ往時の形状と思います。こういう見事な土塁が民家の裏にあるというのがすごいです。たぶんその家に生まれた子供は、それが当たり前と思って、土塁をただの遊び場ぐらいに思って成長するんでしょうね。
by アテンザ23Z (2008-12-24 03:17) 

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