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山家城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC07978.JPG←主郭の石垣。すばらしい!
 山家(やまべ)城は中入城とも言い、鎌倉時代末に地頭の山家氏が築いたといわれている。当初の山家氏は諏訪氏の一族であったが、文明年間に小笠原氏に叛き、攻められて滅んだ。その後、小笠原氏の一流の折野氏が播磨からこの地に移り、折野山家氏となった。1550年に武田信玄が信濃府中に侵攻した際、「イヌイの城」(埴原城?)の落城に伴ってこの城も自落し、武田氏の持ち城となった。そして府中東方の防衛の拠点として使用され続けたという。
 山家城は林城の東方、入山辺地区の薄川北岸の山に築かれた山城である。大きく二つの城域に分かれていて、石垣の残る主郭のある下側のエリアと、その奥へ登っていった先にある秋葉社の祀られた通称秋葉郭と呼ばれる曲輪を中心とした上側のエリアがある。
 まず下側のエリアであるが、登城道を登っていくと2本ほどの竪堀が見られ、その上には小笠原氏系城郭によく見られる段曲輪群がある。尾根筋の要所を堀切で防御しており、その先に主郭がある。主郭周囲には石垣が築かれているが、特に主郭南東側の石垣は素晴らしい。松本周辺の山城のどこよりも高く積まれた見事な石垣で、見る者を感動させるほどのものである。「戦国時代末期の松本平の石垣技術の到達点を示す」という現地解説板の言葉もうなずける。主郭南側の尾根にも何段かの段曲輪が築かれ、先端を堀切で遮断している。また主郭背後は、大堀切で尾根筋を分断している。
 ここまででも規模の大きい山城であるが、圧巻なのはその先である。主郭背後を秋葉郭に向かう尾根道には、幅7~8m、深さ5m以上もある巨大な堀切が連続5本も掘られている。単発もしくは二重の大堀切ぐらいならばこれまでにもお目にかかっているが、五重堀切というのは初めてである。しかもどれも規模がデカイ!この堀切は当然そのまま斜面を駆け下る竪堀となっている。
 そしてようやくそのちょっと先に、何本かの竪堀で周囲を防御した秋葉郭に到達する。秋葉郭の周囲には腰曲輪が取り巻き、秋葉郭の背後には小さい堀切を挟んで広めの第2郭が続く。その先何段かの小さめの段曲輪があり、その下には馬場ではないかというぐらいの広さを持つ第3郭がある。第3郭の先端には規模は小さいが形状がはっきりした枡形虎口があり、その先の尾根は掘切で遮断している。第2郭の北側にも広めの段曲輪群が続いている。
 以上のような感じで、ちょうど普通の規模の山城二つ分で一つの城となっている。面白いのは、下側エリアより上側の秋葉郭エリアの方が曲輪が広いのである。上と下とで縄張り構造が異なっており、その形態から秋葉郭エリアは武田氏による改修ではないかとも言われている。多分そうであろう。要害性と同時に軍事駐屯基地としての規模も兼ね備えた屈指の山城で、あの桐原城をも凌ぐ。名城の多い松本周辺でも(というより私が今まで見た中で)最高の中世山城である。
登城道から見える竪堀→DSC07940.JPG
DSC07989.JPG←主郭の石垣遠景
圧巻の五重堀切の一部→DSC08013.JPG
DSC08050.JPG←第3郭先端の枡形虎口

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.222190/138.052134/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

防御の堅いお城ですね。そこを登城するには相当のご苦労が・・・
というか、アテンザ23Zさんも、ここは登るのに、というかたどり着くのに
苦労されたのでは。

by ノリパ (2009-02-12 18:37) 

アテンザ23Z

麓から主郭までの比高が150m程なので、
20分も掛からずに登れます。
山城としては普通の部類です。
長野では比高300~400mクラスの山城がザラですから。
そういう城は登る前から気が遠くなりそうです。
by アテンザ23Z (2009-02-12 20:05) 

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