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埴原城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSC07840.JPG←第2郭に残る石垣
 埴原(はいばら)城は、信濃守護小笠原氏の居城林城を防衛する松本平城塞群の一つであり、屈指の規模を持つ山城である。1550年に武田信玄が松本平に侵攻して小笠原長時を信濃から追った際、小笠原氏の属城5城が相次いで自落する画期となった「イヌイの城」の陥落はこの城のことであるとも言われている。その位置関係や規模から推察しても、林城の南方を防御する要の城だったと考えられる。
 埴原城の主要部の縄張りは、桐原城に似ている。山麓から登る尾根上に多数の段曲輪群を展開し、要所を堀切で分断しつつ主郭に至る。主郭と第2郭の周囲には何本かの竪堀が掘られ、第2郭周囲には石垣が残っている。ただ埴原城の石垣は桐原城ほど多くは残っておらず、かなり崩れて散乱しているので、もしかしたら武田軍に攻められた時に崩されたのかもしれない。主郭背後は例によって大堀切で分断。その背後の尾根筋には堀底状の通路群が分岐したりしながら延々と続いている。この堀底状通路の機能が良くわからない。下手な堀切よりよっぽど力を入れて掘り込んであるのだが、それほど攻撃もしくは防御に威力を発したのだろうか?また延々伸びていることからして、このはるか先の山頂にあるといわれる御天城への最後の逃げ道として確保されていたものかもしれない。
 また埴原城の竪堀や堀切は、桐原城ほど巧妙に入り組んだネットワークは形成しておらず、そういう意味では縄張りとしてやや単調なイメージである。そのほかでは、主郭の南下方の曲輪に石組みの井戸跡が残っている。
 遺構は完存し規模も大きい山城だが、すばらしかった桐原城のイメージが強すぎたため、ちょっと拍子抜けした印象はぬぐえなかった。それでも十分行く価値のある山城である。
 なお、麓の蓮華寺周囲はかつての屋敷地であったという。
主郭背後の堀切、かなり深い→DSC07852.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.188732/138.016046/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

立派なVですね。ここも木を切ってくれないと、石垣が壊れてしまいますね。
by ノリパ (2009-02-12 18:32) 

アテンザ23Z

もうだいぶ崩れていますが、
それでも450年の風雪に耐えて残っています。
どこの地方自治体も懐具合が厳しいので、
山城保護なんかにお金出してくれないのが、悲しいところです。
by アテンザ23Z (2009-02-12 20:00) 

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