丸岡城(福井県坂井市) [古城めぐり(福井)]
(2003年10月訪城)
丸岡城は、国内の現存12天守の内、最古の天守を戴く城である。かつては国宝であったが、1948年の福井大地震で倒壊したため、再建後は一段低い重文指定になっている。
1575年、越前一向一揆を平定した織田信長は、麾下の猛将柴田勝家に越前を与え、勝家は甥の勝豊を豊原城に入部させた。翌76年勝豊は山城の豊原城から平地の丸岡に新たに城を築いて拠点を移した。これが丸岡城である。以後、何度かの城主の変遷を受けつつも江戸時代を通して丸岡藩として存続し、幕末に至った。
丸岡城は、比高15m程の小山に築かれた平山城で、かつては連郭式と環郭式を組み合わせた縄張で、外郭外周は国内では珍しい五角形をしていた。現在は本丸以外は市街化で湮滅しているが、五角形の形状は道路にその名残を残す。周囲の遺構が湮滅している為、見所は本丸部分以外にはないが、注目の本丸天守は小さいながらも古風な風格のある建物で、かつて中世戦国の時代に各地の城に見られた櫓は、このようなものだったのだろうと想起させられる。天守台を含め石垣は野面積みで積まれ、荒々しい戦国の世の風格を残している。
この城に行った頃は、まだ城巡り駆け出しの頃だったので、当時の写真を今になって見返してみると、本丸虎口の石垣など、多くの遺構を見逃してしまっていることがわかり、悔いが残る城である。
ライトアップされた天守→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.152395/136.272204/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2019年8月再訪)
加賀南部の城に行った際、時間に余裕があったので、16年振りに丸岡城を再訪した。以前は見逃した遺構も全て見て回り、町中に立つ門跡や曲輪跡の標柱も見て回った。天守にいたボランティアのおじさんに話を伺ったところ、現在残る本丸の石垣は、枡形も含めて大部分が近代に積み直されているらしい。往時のまま残っている石垣は、八幡神社裏手の石垣だけだろうとのことであった。貴重な情報をいただき、この場を借りてお礼を申し上げます。
←往時のまま残る石垣
越前中世城郭図面集〈1〉越前北部編(あわら市・坂井市・勝山市・大野市・永平寺町)
- 作者: 佐伯 哲也
- 出版社/メーカー: 桂書房
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- メディア: 大型本
2009-11-16 01:49
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コメント(2)
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先日は失礼しました、小売業に従事していたので売り手の感覚に傾倒したコメントになってしまったかも知れません。
城は好いですね、若い頃(今でもかな)城下町に住む憧れを抱いていましたね、首都圏にはそんな街が少ないのは残念です。
by fuzzy (2009-11-16 12:34)
>fuzzyさん
いえいえ、こちらこそ失礼しました。
由緒ある城下町というのは、私も憧れます。
私が今住んでいる宇都宮も、関東七名城の城下町のはずなのですが、
明治以降の近代化政策と戦後の高度成長政策によって、
その名残が跡形もなく消えてしまっていることが残念でなりません。
関東は残念な地域ですね。
by アテンザ23Z (2009-11-16 18:49)