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守山城(愛知県名古屋市) [古城めぐり(愛知)]

DSC02535.JPG←櫓台跡、頂上に石碑が建つ
 守山城は、那古野城(現、名古屋城二ノ丸)の東方、矢田川沿いの台地上に築かれた平山城である。1521年に今川氏親が那古野城を築いた頃に、小幡城・川村城に対応して築かれたという説があるが定かではなく、築城時期・築城者とも不詳である。三河の松平信定が領有していた頃の1526年、連歌師宗長がこの城を訪れ、連歌の会が盛大に催されたと伝えられている。1535年、松平清康(徳川家康の祖父)は三河の大半を手中に収め、勢いに乗じて尾張攻略を目論んだ。大軍を率いてこの城を織田方から奪って占拠したが、ある夜、馬が暴れだした騒ぎの中、誤って家臣の阿部弥七郎に殺され、主将を失った松平勢は総崩れとなって岡崎へ撤収した。これを「守山崩れ」と言う。以後、松平氏は弱体化し、長い雌伏時代を迎えることとなった。守山崩れの後、守山城は織田信秀に属した。その後、織田信長の叔父信次・弟信時が城主となったが、1560年の桶狭間の戦いの後、廃城となったと言う。

 守山城も末森城と同様、市街地の真っ只中の城であるが、民家の裏に空堀が良好に残っている。この空堀は幅10m以上もある大規模なもので、約40~50mにもわたって一直線に伸びている。また、周囲の住宅地の中に土塁や櫓台の跡が散在している。本丸跡には宝勝寺が建っていて改変されているなど、全体的な遺構は市街化で破壊が進んでいるものの、城跡の痕跡は各所に明瞭に残っている。また周囲の道路も地形的に堀跡であることが明らかで、おぼろげに往時の城の縄張りが見えてきそうな雰囲気がある。これほどの遺構がいまだに残る名古屋は素晴らしい。是非、これ以上破壊が進まないよう保護していってもらいたいものだ。
大規模な空堀跡→DSC02549.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.197089/136.949494/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

隣接する武将、織田と松平、その後の織田と今川のせめぎ合いを記事から感じ取ることができます。連載で同地区を紹介されると頭の中にイメージが湧いて中世に飛んでいけます、ありがとうございます。
by fuzzy (2010-01-15 13:08) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
こちらこそいつも読んで頂きありがとうございます。
残念ながら、名古屋めぐりは1日だけだったので、
今回の名古屋周辺史跡めぐりはこれで終わりです。
今度は東海道の城に行ってみたいです。
by アテンザ23Z (2010-01-15 19:40) 

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