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高月城(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]

DSC05665.JPG←ホテル背後の堀切跡
 高月城は、関東管領兼武蔵守護の山内上杉氏の家臣で、武蔵守護代となった大石氏の滝山城以前の居城である。長禄年間(1457~60年)に大石顕重によって築かれたと言われている。しかし、約60年後の1521年に、顕重の子定重は新たに滝山城を築いて居城を移した。以後、廃城となったと言われるが、一説には支城の一つとして使われ続けたとも言われ、定かではない。
 高月城は、秋川沿いに突き出した加住丘陵の先端部の舌状台地に築かれている。周囲は住宅地となっているほか、先端に近い曲輪には廃業したホテルが建てられており破壊を受けている。しかし、先端の曲輪には土塁が明確に残り、祠が祀られている。ホテルの裏には堀切跡も見られるが、かなり埋もれて浅くなっている。ホテル手前の車道は、城域を南北に分断する堀切だったらしい。そこから最高所の主郭までの間は、二ノ郭も含めて何段かの曲輪が斜面に沿って並んでいるが、みな耕地等に変貌している。前述の堀切跡の道路から主郭までは40m近い高低差があり、こうした崖端城ではあまり見られない曲輪配置である。最上部の主郭も全面耕地化され、かつて主郭背後にあったという空堀と虎口は、改変を受けてほとんど壊滅に近い状態である。主郭背後の南西側の尾根筋にも小規模な曲輪が連なるが、薮が多く削平もやや甘い。主郭の手前に段々畑のように斜面に並ぶ段曲輪と、二ノ郭の前面下方に残る空堀跡が、もっともかつての姿を残しているかも知れない。
 一部の遺構は比較的良好に残るが全体に改変が多く、耕地化されていない場所は藪が多くほとんど遺構の確認ができない。やや残念な城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.712876/139.318979/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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