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滝山城(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]

DSC05243.JPG←二ノ丸の巨大な空堀
 滝山城は、小田原北条氏の最も重要な支城の一つで、3代北条氏康の次男氏照(正確には三男)の居城であった。氏照はこの城を本拠に滝山衆と言う北条氏きっての強力な軍団を組織し、父氏康・兄氏政を助けて関東各地の戦いに出撃して行った。

 関東管領兼武蔵守護であった山内上杉氏の家臣で武蔵守護代であった大石定重が、1521年に新たに滝山城を築いて居城の高月城から移り住んだとされるが、また一説にはその子定久が築いて移り住んだとも言われている。大石氏は木曽義仲の裔を称する武蔵屈指の雄族で、小豪族から守護代にまで登り詰めた。しかし定久の時、1546年の河越夜戦で北条氏康が上杉氏の勢力を駆逐すると大石氏も北条氏に服し、氏康の次男氏照を養子に迎えて家督を譲って隠居した。1559年頃に、氏照は滝山城に入り、江戸城代遠山氏らと共に武蔵を掌握しつつ、北関東制圧に奔走した。また一方で滝山城は、甲斐武田氏に備える重要拠点でもあり、檜原城戸倉城等の支城網によってその動きを監視した。1568年、武田信玄の駿河侵攻によって甲相駿三国同盟が破綻すると、北条氏と武田氏の間は一気に緊迫した情勢となり、1569年、信玄は遂に北条氏の本城小田原侵攻を決意した。碓氷峠から関東に侵入した信玄は、小田原への途上、滝山城に2万の大軍で攻撃を加えた。信玄の子勝頼は、自身軍団の先頭に立って猛攻を掛けたが、氏照の重臣師岡山城守らの奮戦により北条方は辛くもこれを撃退した。この時、武田勢に二ノ丸まで攻め込まれたと伝えられる。信玄は自軍の損害の多さを憂慮して、滝山城攻略を諦めて小田原へ向かった。氏照はこの時の戦訓から、より防御の堅い山城の築城を決意し、新たに八王子城を築いたとされる。1584~87年頃に氏照は居城を八王子城に移し、以後滝山城は廃城になったと言う。

 滝山城はこの冬の城巡りの最大の目標で、今更ながら初めての訪城であったが、想像以上の広さ・でかさに呆然とするばかりだったというのが正直なところである。大体、大馬出で並みの城の主郭ぐらいの大きさという、とてつもない規模である。主要な曲輪だけでも、本丸、中ノ丸、二ノ丸、三ノ丸、千畳敷、信濃曲輪、小宮曲輪など多数で、各曲輪はいずれも規模が大きく、十分な兵の駐屯が可能であり、更にこれらの曲輪の周囲に多数の腰曲輪が付随している。また主要な曲輪の周囲には大規模な空堀が築かれ、防御をより堅固なものにしている。特に二ノ丸外周の巨大な空堀は圧巻で、堀底からの高低差は20m以上もあり、石垣こそ無いものの近代城郭顔負けの規模である。各曲輪の虎口も出色で、馬出し・土橋・枡形土塁などで巧みに構築され、動線を屈曲・旋回させる技巧的な構造で、至るところから敵を迎撃できるよう工夫されている。正に戦国期の築城技術の粋を結集した縄張となっている。

 それにしてもこの滝山城、一体松山城の何倍の大きさがあるのだろう。写真の撮影枚数・訪城時間(歩き回ること4時間超!)共、これまでのレコードである。また、これほどの規模でこれほど防御の固められた城を、一体どこから攻めるんだろう。どこから攻めたらよいか、攻め口がさっぱりわからないぐらい広大なのである。これほどの城になると、余程の数と武力を持った精強な軍団でなければ攻めることさえできまい。滝山城を攻めた武田軍も大したものだとつくづく思う。これが支城に過ぎないとは、北条氏の勢威とはどれほど強大なものだったのか、改めて感じざるを得ない。滝山城は、武蔵経営の拠点であると同時に本国相模防衛の最重要拠点でもあった。その規模、技巧的な縄張。これまでに訪れた中で、間違いなく最高の中世城郭である。

 尚、以前は中ノ丸に車を駐車できたようだが現在は車両進入禁止になっており、しかも付近に駐車場が無いので車の置き場所に非常に困る。国指定史跡なのだから、早く駐車場を確保してほしい。
二ノ丸東側の喰違い虎口→DSC05344.JPG
DSC05358.JPG←二ノ丸南側の土橋と空堀
本丸東側の枡形虎口→DSC05460.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.702021/139.328270/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

後北条の本拠地相模へは、武田氏は小仏方面(20号線)から、上杉氏が川越方面(16号線)からと、その抑えとなる八王子ですから、最も重要な拠点ですね。滝山城は規模の大きさも然ることながら多摩川を背景にしていますから、攻略するのは並の攻めでは難しいでしょう、それに迫った武田氏の強さも凄いです。
by fuzzy (2010-03-10 15:10) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
この要地を押さえる山に、よくぞこれほどの大城郭を築いたと、
北条氏康の戦略眼に感嘆します。
また武田信玄の滝山城攻めも、歴史に残る名勝負ですね。
by アテンザ23Z (2010-03-10 18:07) 

ノリパ

ここはスゴイらしいですね。それがしが持っている本にも
『日本中世城郭の最高傑作』とありますから。
いつか行って、見てみたいです。
by ノリパ (2010-03-13 20:41) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
西国の総石垣の城を見慣れたノリパさんからすれば、
少々見劣りするかもしれませんが、
それでも土だけでこれだけの城が作れるものかと、
感動すること間違いなしです。
いつか是非行ってみてください。
by アテンザ23Z (2010-03-13 21:21) 

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