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横瀬根古屋城(埼玉県横瀬町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC08883.JPG←二ノ郭堀切に架かる土橋
 横瀬根古屋城は、小田原北条氏鉢形衆に属した山城である。城主については数説あり、北条氏康の三男氏邦が花園城主藤田重利の養子となって天神山城に入る前に短期間在城したという説、北条氏邦の家臣朝見伊賀守が1572年まで城主を務めたが、勢多の城に移った為に副将の渡辺監物が城主となったと言う説、また古くは秩父別当武光以下、秩父氏の居城であったと言う説などがある様だ。いずれにしても戦国後期には北条氏の支城となり、1590年の小田原の役で鉢形城が北国勢に攻められて開城すると、横瀬根古屋城も開城してそのまま廃された。
 横瀬根古屋城は、山城としては広い城域を持ち、大きく3つの区域に分かれている。御殿が置かれたとされる広い郭を擁した西郭、水の手郭を挟んで小型の郭を並べた東郭、そして山頂部の本城部分である。本城部分は、山頂の主郭の下に小さな腰郭があり、そこから堀切を介して広い二ノ郭に続いている。主郭は北半分が石灰石採掘の為破壊されており、南半分しか残っていない。従って、その規模・構造を知ることは現在ではできない。二ノ郭との間の堀切には見事な土橋が架かっている。一方、西郭には御殿曲輪の西側斜面に横堀が掘られ、西郭の北端は堀切で分断されている。またここには搦手虎口が作られ、虎口の横に竪堀を落として斜面の横断を防いでいる。
 城域も曲輪も広い城であるが、横矢などの技巧的な部分は少なく、鉢形衆の城として見るとやや残念な感が拭えない。
御殿曲輪西斜面の横堀→DSC08859.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.972866/139.114927/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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