SSブログ

武茂城(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]

DSC02658.JPG←ニノ郭から横堀への横矢掛かり
(2007年1月訪城)
 武茂城は、下野の名族宇都宮氏の庶流武茂氏の歴代の居城である。武茂氏は、正応永仁の頃(1288~99年)に宇都宮氏7代景綱の3男泰宗が武茂庄10余郷に分封されて武茂氏を称したことに始まり、武茂城もこの時築かれたと言われている。武茂氏は、庶家の多い宇都宮一門でも有力な支族で、6代持綱は1407年、宇都宮宗家に世子がなかったため、宗家を継いで宇都宮氏13代当主となり、このため武茂氏は一時断絶した。後1506年に持綱の曽孫正綱が武茂氏を再興し、その正綱も16代当主として宇都宮宗家を継いだので、正綱の3男兼綱が武茂氏を継いだ。戦国後期に入ると勢力を拡張した佐竹氏の下野進出によって、武茂氏はその麾下に入り、那須・佐竹の抗争では武茂氏は重要な役割を果たした。1599年に武茂豊綱は那須資晴との内通を疑われ、常陸大賀村に移され、武茂城には佐竹氏の家臣太田五郎左衛門が入城した。関ヶ原合戦後の1602年、佐竹義宣が出羽秋田に移封となると、武茂・太田両氏も秋田に移り、武茂城は廃城となった。

 武茂城は、武茂氏の菩提寺である乾徳寺を挟んで、その西と東に張り出した丘陵上に築かれている。西側が本城で、東側が東城と呼ばれる出城となっている。谷戸を挟んで並ぶ2つの城砦が一つの城として機能する点で、松野北城松野南城とよく似ている。武茂城の本城は、山頂の主郭までの斜面上に曲輪を段々に築いた梯郭式の縄張りを基本形としている。最上部に櫓台を有した主郭を置き、その南に切岸のみで区画されてニノ郭が配され、掘切を介して三ノ郭が南に広がっている。三ノ郭の前面にも3段程の腰曲輪があり、神社などが建てられている。主郭~三ノ郭の側方にも腰曲輪が廻らされ、特に主郭とニノ郭の東側では横堀となって主郭背後の堀切に接続し、ニノ郭塁線上から横堀に対して横矢が掛けられている。主郭背後も中規模の掘切が穿たれ、西側は竪堀となって下り、腰曲輪に接続している。主郭の後ろにも北郭が築かれ、ここにも背後に掘切が穿たれて城域が終わっている。一方、東城は突入を試みたものの倒竹地獄と夕闇で断念した。武茂城は、中世城郭の特徴をよく残しており、登道が整備されているので訪城も楽である。
主郭背後の堀切→DSC02666.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.741214/140.170290/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世宇都宮氏 (戎光祥中世史論集9)

中世宇都宮氏 (戎光祥中世史論集9)

  • 作者: 江田郁夫
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2020/01/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント