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高松城(香川県高松市) [古城めぐり(香川)]

DSC00133.JPG←開かれた水手門
 高松城は、日本3大水城に数えられる近世城郭である。四国・九州を相次いで平定し、全国統一まであと一歩に迫っていた豊臣秀吉は、1587年に生駒親正を讃岐に封じた。親正は初め引田城に入ったが、東に偏するということで聖通寺城に移り、更に翌88年に新たに高松城を築城し始め、1590年に完成させた。縄張りは黒田如水(孝高)が行ったと言われるが、その他の説もあり定かではない。江戸時代に入って生駒氏が改易になると、高松城には松平氏が入り、そのまま幕末まで高松松平氏11代228年の居城となった。明治時代に入るまで天守の残っていた城であったが、1884年(明治17年)に取り壊された。

 高松城は、全国的にも珍しい海に面した城で、堀には直接海水を引き入れている。その為、潮位の変化によって水堀の水位が変わる、珍しい城でもある。朝、夜行で高松に到着し、高松駅を出て東にちょっと歩くと、道路を挟んで目の前にいきなり石垣が出現する。これは二ノ丸西面の石垣である。市街化によりかつての城域の約半分が破壊されて失われているが、本丸・二ノ丸・北ノ丸・桜の馬場という主要部はほとんど無傷で残っている。特に、艮櫓(移築)・月見櫓・水手御門・渡櫓が現存し、往時の面影を残している。この城で特筆すべきは、水手御門でかつては直接海に面した門であった。訪城当日は、たまたま清掃中で門が開いているところが見られた。また大手に掛かる筋違橋は、これまた珍しい斜めに掛かる橋で、横矢による側面攻撃を意識した形状である。天守台は残念ながら現在石垣修復中で、本丸内に入ることもできなかった。天守再建計画が動いているようなので、再建後に改めて訪城したい。それ以外では、県民ホールなどが建っている裏にひっそりと東ノ丸の石垣が大切に保存されている。

 これだけ珍しい構成の高松城であるが、平坦な平城なので縄張りの変化がなく、やや面白みは乏しいと感じた。山城中毒であろうか。
市街化の狭間に残る東ノ丸石垣→DSC00178.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.350416/134.051646/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世水城
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