今川氏館(東京都品川区) [古城めぐり(東京)]
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今川氏館は、駿河の戦国大名今川氏の、大名として滅亡後の居館である。今川氏については杉並の今川氏累代墓の項でも記載した通り、絶頂期を築いた今川義元が田楽狭間で織田信長の奇襲に敗れ討たれた後、凡庸な嫡子氏真は甲斐の武田信玄に駿河・遠江を奪われ、妻の実家である小田原北条氏を頼って落ち延びた。そしてその庇護を受けて、品川の権現台に居館を構えたと言う。しかし氏真は後にここを離れ、徳川家康を頼った。一方、品川の地は氏真の次男高久が継ぎ、以後品川氏を称した。しかし居館は早くに廃されて遺構は湮滅したらしく、江戸時代の後期の文政年間(1818~30)には、既に館跡は不明であったらしい。
今川氏館は、大正時代に「省線」(現JR)の大井工場が建設され、現在ではJRの東京総合車両センターとなっており、全く旧態をとどめておらず所在地すら不明となっている。ここまで破壊が徹底していると、もう言葉も出ない・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.611360/139.732726/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
今川氏館は、駿河の戦国大名今川氏の、大名として滅亡後の居館である。今川氏については杉並の今川氏累代墓の項でも記載した通り、絶頂期を築いた今川義元が田楽狭間で織田信長の奇襲に敗れ討たれた後、凡庸な嫡子氏真は甲斐の武田信玄に駿河・遠江を奪われ、妻の実家である小田原北条氏を頼って落ち延びた。そしてその庇護を受けて、品川の権現台に居館を構えたと言う。しかし氏真は後にここを離れ、徳川家康を頼った。一方、品川の地は氏真の次男高久が継ぎ、以後品川氏を称した。しかし居館は早くに廃されて遺構は湮滅したらしく、江戸時代の後期の文政年間(1818~30)には、既に館跡は不明であったらしい。
今川氏館は、大正時代に「省線」(現JR)の大井工場が建設され、現在ではJRの東京総合車両センターとなっており、全く旧態をとどめておらず所在地すら不明となっている。ここまで破壊が徹底していると、もう言葉も出ない・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.611360/139.732726/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
大名屋敷ですか?
by ねじまき鳥 (2010-12-02 21:05)
>ねじまき鳥さん
大名屋敷のような規模ではなく、
ただの豪族の居館レベルだったのではないかと思います。
なにしろ名家ではあっても、実質的に大名としては滅亡していますので。
by アテンザ23Z (2010-12-02 21:24)