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富田城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]

DSC05573.JPG←城山と呼ばれる土塁跡
 富田城は、皆川氏の一族富田左衛門尉成忠が、1441年に築いたと言われている平城である。以後富田氏歴代の居城となったが、1557年、富田左近信吉の時に、皆川城主皆川俊宗によって攻略されたと言う。これは富田氏が佐野氏と結んだ為と言われている。以後、俊宗の隠居城となり、皆川城の南方防衛の拠点として川連城と共に重要な支城となった。小田原北条氏が滅ぼされて関東の勢力図が大きく変わってからも城は存続し、1591~97年までは富田宮内大夫秀重が、1601~17年までは北条出羽守氏重が城主となった。その後の歴史は定かではないが、おそらく廃城となったものだろう。
 富田城は、JR両毛線の大平下駅の南西一帯が城域であり、大平西小学校が本丸跡に相当する。かつては低湿地帯に浮かぶ要害を利用した平城で、本丸の西側周囲を二ノ丸等の曲輪で囲んでいたが、現在は宅地化・耕地化によってほとんどの遺構が湮滅している。わずかに線路の南側に「城山」と呼ばれる土塁跡が残るのが明確な痕跡である。ただ良く見て回ると、本丸の南側にもわずかに土塁と堀と思しき跡が見られる。又、城域北辺にも曲輪外縁らしい高低差が残る。もう少し遺構が残っていればと惜しまれるが、主要道沿いの平城なので、開発の波に飲まれるのも仕方のないところであろうか。
本丸南の土塁と堀跡→DSC05588.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.342283/139.694767/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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