SSブログ

鮭延秀綱墓(茨城県古河市) [その他の史跡巡り]

DSC05954.JPG
 鮭延越前守秀綱は、出羽の戦国大名最上義光の家臣で、鮭延城を居城としていた。武略に長けた名将として知られ、東北の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦においては、長谷堂城の戦いで直江山城守兼続率いる上杉方の大軍を相手に獅子奮迅の活躍をして城を守り抜き、兼続が賛嘆したと伝えられている。その後、1622年に最上氏がお家騒動で改易されると幕府老中土井利勝にお預けとなり、後に許されて土井家に仕え、利勝の居城古河城下で没した。秀綱の死後、その威徳を慕った家臣が鮭延寺を建立し、その菩提を弔ったと言う。
 以前、山形の鮭延城を訪れてその訪城記を書いた際、名将秀綱の墓が故郷から遠く離れた古河の鮭延寺にあることを知り、いずれお参りしようと考えていた。鮭延寺の境内にある秀綱の墓には、そのことを記した標柱も何もないが、墓地の中にひときわ大きく古い墓があるので、一目でそれとわかるだろう。故郷から遠い関東で晩年を過ごすことになった、かつての名将の遺徳が偲ばれる。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.176180/139.718306/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:墓所
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント