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大塚城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSC07022.JPG←三ノ郭背後の大堀切
 大塚城は、佐野氏の支城の一つで、元亀・天正の頃(1570~92年)に、佐野氏の家臣大塚信濃守綱利が築いたと言われている。それ以外の詳細は不明であるが、城主後裔の大塚家には、佐野昌綱の充行状が残っていると言う。綱利の名乗りも、昌綱の一字を拝領したものと考えられるので、大塚氏は佐野氏家臣団の中でも重視された家臣だったと思われる。

 大塚城は、南に向かって伸びた狭小な山支を利用して築かれており、その比高は高々80m程に過ぎない。しかしその遺構は見事の一言に尽きる。主要な曲輪を直線的に配列した典型的な連郭式の山城で、主郭前面に数段の段曲輪を設け、主郭背後には二ノ郭・三ノ郭を配置している。これらの曲輪は全て堀切で分断されているが、これらの堀切はいずれも規模が大きく、10m超級の堀切3本というもの凄さである。主郭前後の堀切の手前には大きな土壇が築かれていて、どうも主郭に通じる木橋の付け根だった様である。主郭は居住性も備えた広さを持ち、左右下方には腰曲輪が防御を固めている。ただ東側の腰曲輪は藪がひどく、広さの確認が難しい。三ノ郭は内部が大きな高低差を持った3段程の曲輪に分けられていて、最上部は物見櫓となっていた様である。主郭前面の数段の段曲輪は、大手道側方を竪堀で遮断し、虎口には小さな馬出しを設けている。それ以外では、一部に石積みが残っており、いくつもの石が転がっている箇所もあるので、かなり石垣が多用された城だった可能性がある。

 大塚城は、戦国後期に作られたと言われる城だけあって、見事な遺構を残した新鋭山城だったようだ。
段曲輪に残る石積み→DSC06933.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.511904/139.614923/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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NO NAME

たまたまHP覗かせて頂きました。私のご先祖様のお城を褒めて頂きありがとうございます。佐野家以外には1度も味方をしたことが無く、上杉家武田家等に何度も戦に敗れたそうです。戦に行った人は生きて帰ってきた事が無く、城に篭る前に何度も負けてると聞きました。城のふもとに大塚党という大きな墓石のような物がありご先祖様の墓がならんでいました。私は分家の人間で子供の時に見聞きした話です。
by NO NAME (2014-02-17 23:03) 

アテンザ23Z

>NO NAMEさん
当ブログをご訪問頂きありがとうございます。大塚氏のご子孫の方に訪問いただけたとは、光栄です。ご子孫の家には、さすがに昔からの言い伝えが残っているのですね。ご先祖様のお墓とは、慈眼寺の墓所のことでしょうか?慈眼寺に大塚氏のお墓があると聞いていますので、いずれ一度お参りしたいと思っています。
by アテンザ23Z (2014-02-19 02:56) 

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