藤沢城 その1(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]
←主郭土塁上の祠
藤沢城は、鍋山城とも呼ばれ、佐野氏の支城である。永野川を挟んで対岸の不摩城と呼応して、永野川流域を扼す要地であったと思われる。佐野氏の家臣小曾戸政忠が築いた城らしい。小曾戸氏は島津氏の子孫で、島津忠佐の時に藤姓足利有綱と姻戚関係となって勢力を伸ばし、後に佐野氏に仕えて、鍋山・粕尾・尻内などを知行していたと言う。佐野氏が改易になると、小曾戸氏は帰農したと言う。
藤沢城は、永野川の北側の山地の中腹に築かれている。この城の場所は、事前にネットで調べたが明確にはわからず、藤沢城近くの物産店の方に尋ねたところ、場所を教えて頂けた。山の斜面を登って行くと、すぐに帯曲輪の様な平場が2段ほどあり、そこから高さ30mほど上まで行くと、藪の中に空堀が現れた。空堀はかなり埋もれている様で、現在は深さ1m程しかない。おまけに藪だらけで、写真を撮ってもほとんどまともに写ってくれない。また藪がひどすぎて、主郭内部は勿論、外周の空堀にも突入不可能であった。しかし頑張って歩いてみると、空堀が幾度かクランクして横矢を掛けていることが確認できた。西側の空堀は道になっており、そこを行くと右手の土壇に祠が祀られていた。おそらくこれが主郭の土塁なのだろう。とにかくこれ程ひどい藪は久しぶりで、遺構の規模も形状も満足に確認できなかったが、とにかく空堀の存在が確認できただけでも善しとすべきだろう。もう少し整備されているとありがたいのだが・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.449214,139.6483&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
※城址が整備された後の再訪記はこちら。
藤沢城は、鍋山城とも呼ばれ、佐野氏の支城である。永野川を挟んで対岸の不摩城と呼応して、永野川流域を扼す要地であったと思われる。佐野氏の家臣小曾戸政忠が築いた城らしい。小曾戸氏は島津氏の子孫で、島津忠佐の時に藤姓足利有綱と姻戚関係となって勢力を伸ばし、後に佐野氏に仕えて、鍋山・粕尾・尻内などを知行していたと言う。佐野氏が改易になると、小曾戸氏は帰農したと言う。
藤沢城は、永野川の北側の山地の中腹に築かれている。この城の場所は、事前にネットで調べたが明確にはわからず、藤沢城近くの物産店の方に尋ねたところ、場所を教えて頂けた。山の斜面を登って行くと、すぐに帯曲輪の様な平場が2段ほどあり、そこから高さ30mほど上まで行くと、藪の中に空堀が現れた。空堀はかなり埋もれている様で、現在は深さ1m程しかない。おまけに藪だらけで、写真を撮ってもほとんどまともに写ってくれない。また藪がひどすぎて、主郭内部は勿論、外周の空堀にも突入不可能であった。しかし頑張って歩いてみると、空堀が幾度かクランクして横矢を掛けていることが確認できた。西側の空堀は道になっており、そこを行くと右手の土壇に祠が祀られていた。おそらくこれが主郭の土塁なのだろう。とにかくこれ程ひどい藪は久しぶりで、遺構の規模も形状も満足に確認できなかったが、とにかく空堀の存在が確認できただけでも善しとすべきだろう。もう少し整備されているとありがたいのだが・・・。
一応空堀です→
←斜面下方の帯曲輪お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.449214,139.6483&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
※城址が整備された後の再訪記はこちら。
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