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下郡山館(福島県桑折町) [古城めぐり(福島)]

DSC00470.JPG←浸蝕谷による天然の堀
 下郡山館は、伊達氏の家臣下郡山氏の居館である。下郡山氏は、「伊達世臣家譜」に拠れば伊達氏の御一族・召出の班に列し、本姓は藤原氏、当初は小山氏または結城氏を称し、下郡山郷に住して下郡山氏を称したと言う。個人的な勝手な推測だが、南北朝時代に伊達行朝と共に南朝として活動した白河結城氏か、下野の小山氏に連なる一族が、霊山城陥落後もこの地に留まって伊達氏の家臣化したものかもしれない。伊達氏の内乱、天文の乱の際には、下郡山館は伊達晴宗の拠る桑折西山城の前衛の出城として、稙宗方と激戦を交えた。乱終結後、下郡山氏の中で稙宗方に付いた下郡山石見・因幡らは所領を没収されて没落し、晴宗方に付いた下郡山蔵人は所領を安堵されたと言う。1591年、豊臣秀吉の奥州仕置によって下郡山館は廃館となり、伊達氏の移封に従って下郡山氏もこの地を離れた。

 下郡山館は、播磨館伊達崎城と同様、阿武隈川によって削られた段丘上に築かれている。特に下郡山館の置かれた地は、浸蝕谷が複雑に入り組んだ大地の先端にあり、屈指の要害性を誇ったと考えられる。浸蝕谷による急崖で分断された小館・古館・館ノ内・中丸の複数の郭群で構成されており、天文の乱当時の下郡山館は、館ノ内にあったと考えられていると言う。館跡は畑や民家となり、はっきりした遺構は残っていないが、その地勢は現在でも健在である。家に帰ってからYahoo!地図の航空写真を見たら堀跡のような畑が見られる場所があったので、いずれ再訪して確認したいと思っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.852111/140.537699/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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