真芳寺砦(神奈川県平塚市) [古城めぐり(神奈川)]
←砦のあった真芳寺
真芳寺砦は、小田原北条氏が築いた砦である。かつて真芳寺砦のある地は、相模川自然堤防の最も狭まった場所で、ここを通過する軍勢を阻む急所であったと言われる。真芳寺を開山した仁忠良義禅師は北条氏の支族とされ、本家の庇護の下、この要衝の地に寺を建て、周囲に空堀・水堀・土塁などを設けて小田原防衛の一拠点としたと言われている。1569年に甲斐の武田信玄が小田原城に攻め寄せた際、北条方の軍勢は真芳寺砦に集結して武田勢を迎撃し、一敗地にまみれたものの小田原城の備えを固める時間を稼ぐことができたとされる(牛ヶ渕の戦い)。
真芳寺砦は、現在は前述の通り真芳寺の境内となっている。周辺は宅地や畑となって遺構は残っておらず、地勢も変わってしまっていて、往時の要害性を感じることはできない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.389400/139.367934/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
真芳寺砦は、小田原北条氏が築いた砦である。かつて真芳寺砦のある地は、相模川自然堤防の最も狭まった場所で、ここを通過する軍勢を阻む急所であったと言われる。真芳寺を開山した仁忠良義禅師は北条氏の支族とされ、本家の庇護の下、この要衝の地に寺を建て、周囲に空堀・水堀・土塁などを設けて小田原防衛の一拠点としたと言われている。1569年に甲斐の武田信玄が小田原城に攻め寄せた際、北条方の軍勢は真芳寺砦に集結して武田勢を迎撃し、一敗地にまみれたものの小田原城の備えを固める時間を稼ぐことができたとされる(牛ヶ渕の戦い)。
真芳寺砦は、現在は前述の通り真芳寺の境内となっている。周辺は宅地や畑となって遺構は残っておらず、地勢も変わってしまっていて、往時の要害性を感じることはできない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.389400/139.367934/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
アテンザ23Zさん nice!とコメントをありがとうございます
お互い様 相身互い
第三者になって自分を見つめる目
大切ですね
わたしも お城が大好きです
地元・浜松で先日行われた 山城サミットに 参加できなかったことを後悔しています
by ハマコウ (2011-11-29 17:35)
>ハマコウさん
教育関係は、いま大変困難な時期にあるとお察し致します。
学力ばかりでなく、心のなかの大切なものを守り、
お互いを尊重する姿勢を教えていくのが、
極めて困難な状況と思います。
山城サミットは、最近非常に盛況だと聞いています。
私も一度参加してみたいと思っていますが、
サミット中の山城ツアーは定員オーバーになってしまうようですね。
by アテンザ23Z (2011-11-30 09:40)