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大島豊後守正時屋敷(神奈川県海老名市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC09872.JPG←屋敷跡の現況
 大島豊後守正時は、元々安房里見氏の部将であった。里見氏は、永享の乱の際に同じ鎌倉公方足利持氏方であった相模の豪族海老名氏の元に大島義金を援軍として送り、それが機縁となって、義金の子正時は海老名氏の娘を娶ることとなった。永享の乱後、海老名広治は隣の田邑宗友と領地争いを起こし、甥の正時に応援を頼んで助けられた。間もなく広治は病没し、正時は後嗣のなかった広治の跡を継いでこの地に居を構えて治めたと言う。その後の大島氏の事績は定かではないが、江戸期以降は旧家として里正を勤めた様である。大島氏はそのまま現在に至るまで、この地でその家系を保っている。
 大島豊後守正時屋敷は、字東屋敷にある。北半は大島氏が土地を市に寄贈して大島記念公園となっており、大島氏の由来を刻んだ石碑が建っている。南半は、今でも大島氏の居宅である。市街化が進み遺構はないが、今でも当地でその家系を保っているとは驚きである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.441302/139.384671/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
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