松田直長屋敷(神奈川県厚木市) [古城めぐり(神奈川)]
←屋敷推定地付近の現状
松田直長は、小田原北条氏の重臣松田康長の子である。松田氏では、北条氏康以来3代にわたって筆頭家老を勤めた松田憲秀が有名であるが、康長はその従兄弟に当たり、従って直長は憲秀の従甥である。松田氏の事績については、松田城の項に記載する。康長は、1590年の小田原の役の際に箱根を押さえる最重要拠点山中城の守将となり、奮戦したものの衆寡敵せずわずか半日で落城し、康長は討死した。その遺領は直長が継いだが、間もなく北条氏は豊臣秀吉の軍門に降って滅亡し、直長は関東に入部した徳川家康に仕えた。その際、屋敷を構えたのがこの地であるとされる。
松田直長屋敷は、その場所は正確には判明していないが、荻野小学校・中学校付近と推測されている。遺構はないが、荻野川東岸の段丘上に位置し、周囲より高くなった高台であったことが今でもわかる。南東に「馬場」の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.491949/139.321243/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
松田直長は、小田原北条氏の重臣松田康長の子である。松田氏では、北条氏康以来3代にわたって筆頭家老を勤めた松田憲秀が有名であるが、康長はその従兄弟に当たり、従って直長は憲秀の従甥である。松田氏の事績については、松田城の項に記載する。康長は、1590年の小田原の役の際に箱根を押さえる最重要拠点山中城の守将となり、奮戦したものの衆寡敵せずわずか半日で落城し、康長は討死した。その遺領は直長が継いだが、間もなく北条氏は豊臣秀吉の軍門に降って滅亡し、直長は関東に入部した徳川家康に仕えた。その際、屋敷を構えたのがこの地であるとされる。
松田直長屋敷は、その場所は正確には判明していないが、荻野小学校・中学校付近と推測されている。遺構はないが、荻野川東岸の段丘上に位置し、周囲より高くなった高台であったことが今でもわかる。南東に「馬場」の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.491949/139.321243/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
コメント 0