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梁取城(福島県只見町) [古城めぐり(福島)]

DSC02103.JPG←ニノ郭虎口の左袖
 梁取城は、会津葦名氏の家臣三河権守宗景の築いた城と言われている。この三河権守は、長沼氏の一族とも推測されている様だ。室町時代には横田中丸城主山ノ内氏が勢力を広げ、戦国時代末期の梁取城主梁取左馬之助は、山ノ内氏の一族であったと言われている。1589年、摺上原の合戦で会津の戦国大名葦名氏を滅ぼした伊達政宗は、引き続き敵対を続ける横田中丸城主山内氏勝と久川城主河原田盛次を降す為、重臣の原田左馬助宗時を奥会津に侵攻させた。この時、和泉田城が撫で斬りにされる前に、梁取城は伊達勢の攻撃で攻め落とされたと言う。

 梁取城は、伊南川の北の山地の南端が半島状に突き出た、比高60m程の平坦な台地上に築かれている。主には主郭とニノ郭から成り、主郭は周囲を土塁で防御し、更にその外側を空堀をめぐらして固めている。ニノ郭の北隅には櫓台が設けられ、主郭前面と側方の空堀を攻撃できるようになっている。ニノ郭虎口には、近世城郭で言う左袖に相当する横矢の張り出しがある。中世城郭でこれほど明瞭な左袖は珍しく、栃木の桑窪城以来である。一方、主郭虎口の内部は掘状の窪地となっており、内枡形の一種の様である。ニノ郭全面や主郭背後にも曲輪らしい平場があるが、どこまでが城域かはあまり判然としない。全体に平面的な縄張りの城で、要害性を武器とせず山城と言うより居館の雰囲気が強い。西方の要害山城を詰城とした、平時の居館という見方もうなずける。尚、明確な登城道はないが、西側の尾根筋から登ることができる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.291399/139.490823/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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