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蛭ヶ小島配流地(静岡県伊豆の国市) [その他の史跡巡り]

DSC07515.JPG←富士を望む頼朝・政子像
 蛭ヶ小島は、平治の乱後に源頼朝が配流された地である。1160年、平治の乱で源氏の棟梁源義朝は敗死し、その子でまだ14歳の青年であった兵衛佐頼朝は、池禅尼の助命嘆願によって平清盛に一命を救われ、伊豆蛭ヶ小島に配流となった。それから1177年に北条政子と結ばれるまでの17年間を、頼朝はこの地で過ごした。そして1180年に旗揚げし、平家の目代山木兼隆を攻め滅ぼした後、石橋山で大庭景親率いる頼朝討伐軍を戦いを交えた。その経緯は、石橋山古戦場の項に記載する。この後、再起した頼朝は鎌倉に幕府を開き、日本史上初めての武家政権を樹立するのである。
 蛭ヶ小島は、現在は周りを田畑で囲まれた一面の平地であるが、往時は低湿地帯の中に田島(中洲)が点在する、浮島の中の一つであったらしい。遺構らしいものは何もないが、公園として整備され、若き頼朝と政子夫婦を描いた銅像が、富士山を遥かに望んでいる。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.051605/138.951613/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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