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鐙塚阿曽沼城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02703.JPG←城址付近の窪地地形
 鐙塚阿曽沼城は、佐野氏の支城である。1471年に、佐野氏の庶流で阿曽沼城主阿曽沼四郎広綱の子孫阿曽沼弾正が築城した。阿曽沼氏は古河公方足利氏に仕えていたが、1546年の河越夜戦で足利晴氏が北条氏康に敗れると、阿曽沼左京大夫(弾正の孫)は帰国して佐野氏に仕えた。左京大夫の曾孫助太夫方重は佐野17騎の一人で、1579年に北条氏直に佐野氏の本城唐沢山城を攻められた際、兵800を率いて北条勢の本陣を突き、勇将大畑与十郎を討ち取ったと言う。1585年に須花坂合戦で佐野宗綱が討死すると、かねてより宗綱と反目していた屋形山城主大貫越中守に謀反の嫌疑がかけられ、阿曽沼方重ら宗綱方の家臣は屋形山城を攻め落とし、大貫氏を討ち果たした。その後、佐野氏は徳川時代まで生き残ったが、1614年に改易され、阿曽沼氏もこの時滅亡した。
 鐙塚阿曽沼城は、三杉川西岸の台地辺縁部にあったと考えられている。三杉川沿いの低地帯を挟んで黒袴藤岡城と相対する位置にあり、両城が連携して唐沢山城の南方を押さえる役目を負っていたと考えられるが、現在は佐野工業団地の造成で遺構は湮滅している。付近に僅かに窪地状の地形が残るが、堀跡であろうか?いずれにしても、残念ながら明確な遺構は確認できない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.308174/139.608561/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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