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免鳥城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02801.JPG←堀跡の水路
 免鳥城は、佐野氏の支城である。1525年に佐野氏の家臣免鳥山城守義昌が築城したと伝えられ、佐野領西方を防衛する拠点であったと考えられる。天文年間(1532~55年)の初めに、赤井山城守道休が免鳥氏に代わって在城したが、1559年に赤井氏は小田原北条氏に付いて館林城に走った。その後、佐野氏は、1572年に高瀬伊豆守・同紀伊守を城主とした。佐野領の西隣りは、戦国時代を通して佐野氏と激しい抗争を繰り広げた足利長尾氏で、免鳥城も度々攻防の場となった。1577年、長尾顕長は免鳥城を攻め落としたが、すぐに佐野宗綱は奪い返した。しかし1581年には、再び長尾顕長が1千騎を率いて免鳥城を攻め落とし、浅羽左衛門・同甚内を免鳥城に置いた。この頃には、下野には小田原北条氏が勢力を伸ばし、長尾氏は北条氏に降って佐野領侵攻を行っていた。1585年に佐野宗綱が須花坂の戦いで討死し、その後、北条氏忠が佐野氏に入嗣する形で佐野領が北条氏の版図に組み込まれると、免鳥城は佐野氏に返還されたと考えられ、以後佐野和泉守が城主となった。江戸時代初期に佐野氏が改易されると、免鳥城も廃城となった。

 免鳥城は、現在は宅地化で遺構はほとんど湮滅しているが、堀跡が水路となって残っている。それから推測すると、二重の堀で囲まれた環郭式の平城であったことがわかる。水路の側を走る道路も堀跡だったのだろう。また、本丸西辺にある民家の裏には、わずかに土塁跡の土盛りが残っている。遺構はほとんどないが、城の輪郭がはっきりと追えるだけマシであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.308192/139.547213/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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