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中村城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02953.JPG←唯一の現存遺構の井戸跡
 中村城は、1331年に桓武平氏梶原の末裔中村刑部景春により築城されたと伝えられている。中村氏は、代々唐沢山城主の佐野氏に仕えた。1585年の須花坂合戦の際、7代目城主の中村刑部左エ門が佐野宗綱に従って出陣したが、佐野勢は長尾顕長の軍勢に大敗して、宗綱は討死し、刑部左エ門も戦死した。以後、中村城は廃城となったと言う。

 中村城は、唐沢山城の北方に位置し、唐沢山城の出砦であった諏訪山砦のあった諏訪岳の北西麓、中町集落の中にあった。一帯は宅地化されており、遺構は湮滅している。中町の名は、中村城があったことから付いたとされ、地元の方の話では、そのまま「中村町」では普通すぎるので「中町」にしたとか。唯一の現存遺構が石組みの井戸跡で、「堀ノ内」と言われる民家の庭先に残っている。この遺構は、同行していた彼女の機転と、周辺住民の方の丁寧な情報提供のお陰で場所が特定でき、家主のご老人のご好意で拝見させていただくことができた。井戸を拝見しながら、いろいろと話を伺うこともできた。井戸は、昔はもっと水位が高かったが、近年はだいぶ枯れてきているそうで、ご老人が小さい頃は危ないから近寄るなと親御さんから言われたそうである。それでも、井戸の中では鯉が泳いでいる程、現在でも水量が豊富である。この他、須花峠の古道には城主の墓があるらしいとか、唐沢山城と中村城とは旗で情報伝達を行なっていたとか(実際は諏訪山砦経由だったのだろう)、色々と有益な話を伺うことができた。井戸の残るこの民家が城の中心部であるらしいが、石組み井戸以外には明確な遺構はなく、民家からやや離れた所に堀状の水路がある程度である。その為、中村城がどのような縄張りだったのかは不明である。城としての遺構はわずかであるが、井戸跡も拝見でき、興味深い話も色々聞けて、大満足の城巡りとなった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.385412,139.609612&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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