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京塚楯(山形県鮭川村) [古城めぐり(山形)]

DSC07076.JPG←ニノ郭の二重竪堀
 京塚楯は、天正年間(1573~92年)に柴田勝家の一族柴田兵庫之介がこの地に逃れてきて居城としたと伝えられている。その後、慶長年間(1596~1615年)には、清水城主清水大蔵大輔義親が柴田氏を滅ぼし、清水城の北端拠点の重要地としてその家臣武田河内を楯主としたと言う。鮭川対岸にある佐々木広綱の庭月館に対向する拠点であったとも言われる。
 京塚楯は、小規模なほぼ単郭の平山城である。比高わずか20~30m程の丘陵先端の円丘上に築かれた城で、長円形に近い形状の主郭の背後に土塁を築き、その下方に小さな方形のニノ郭を置いている。このニノ郭には竪堀が5本も穿たれ、その内の1本は竪堀状の登城道と連結している。主郭背後の土塁には虎口があるようだが、薮がひどく形状が明確には確認できない。この他、主郭周囲には腰曲輪もいくつか築かれているが、いずれにしても要害性が大きいとは言えず、近くに来たついでにちょっと寄る程度の城だろう。それにしても、山形まで来て柴田勝家の名前を聞くとは意外だった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.815440/140.237370/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世平山城
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