SSブログ

方ノ上城(静岡県焼津市) [古城めぐり(静岡)]

DSC01588.JPG←狼煙台跡とされる巨石群
 方ノ上城は、駿河の戦国大名今川氏の跡目を巡る内紛「花倉の乱」において、玄広恵探方の一拠点となった山城である。その創築は明確ではないが、一説には南北朝時代に安倍城主狩野介貞長によって築かれたとも言われるが定かではない。1493年、駿河における領国支配を確立した今川氏親は、遠江へ進撃する上での連絡拠点として方ノ上城を改修した。1536年、今川氏輝が病没し、その跡目を巡って弟の玄広恵探と梅岳承芳(後の今川義元)との間で国を二分する抗争が勃発した。これが「花倉の乱」で、この時、恵探派の福島彦太郎・斎藤四郎衛門・篠原刑部少輔らによって方ノ上城は占拠された。しかし承芳派の岡部左京進親綱によって攻め落とされたと言う。その後の歴史は不明である。

 方ノ上城は、高草山から西に張り出した、標高230mの峰に築かれた城である。小規模な細尾根上の城砦で、山頂部に削平の甘い主郭を置き、背後の尾根筋を数本の小堀切で分断しただけの簡素な城である。堀切は最大でも深さ2m程しかない。尾根の鞍部も堀切と考えられるがほとんど自然地形に近い。この堀切の西側には谷戸内に緩斜面が広がり、兵の駐屯地であった可能性がある。この平場内には「幻の池」という表示のある水溜りも見られ、水の手だったのかもしれない。一方、主郭の前面にはニノ郭と思われる平場があるが、ここには狼煙台跡とされる巨石がゴロゴロと散在している。城のすぐ北側まで車道が延びており、道も整備されているので、簡単に訪城できる。山上からは周囲への眺望に優れ、狼煙台や物見としては好適であったことがよく分かる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.897944/138.309145/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント