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徳願寺山城(静岡県静岡市駿河区) [古城めぐり(静岡)]

DSC01929.JPG←南尾根の堀切と小郭
 徳願寺山城は、歴史不詳の山城である。かつてこの山上には大窪寺と言う寺院があり、鎌倉時代には久能寺・平澤寺・建穂寺と並ぶ「駿河四大寺」とされ、格式高い寺院であった。とすれば、南北朝時代の山城によくある、山上の寺院をそのまま城塞化した寺院城郭であった可能性も考えられる。その後、康生年間(1455~57年)に寺院を山頂から中腹の「大段」に下ろし、得願寺と名を改めた。1529年には、今川義忠の正室北側殿(伊勢宗瑞の姉または妹)が没し、当寺を菩提寺として中興したと伝えられている。この辺りの歴史からは、今川氏の関係か強く推察され、府中館防衛のための周辺城砦群の一つとして、室町~戦国期にも活用された可能性が考えられる。

 徳願寺山城は、標高352m、比高322mの山上に築かれている。城域は、「仏平」と呼ばれる山頂部と、東側中腹に位置する徳願寺周辺の「平城」と伝承される平場、徳願寺の北側に隣接する平場「大段」に跨がり、広い城域を有していたらしい。現在、中腹の「平城」「大段」は、畑や寺の境内となって改変され、数段の平場以外に明確な遺構は確認できない。一方、山上の「仏平」は、一部山林伐採などで遺構が不明瞭なものの、堀切や曲輪の遺構が良く残っている。車道から整備されたハイキングコースの右回りルートを登って行くと、山の北尾根に出て、そこから尾根筋を登ると、2本の堀切が現れる。堀切はいずれも深さ2~3mのしっかり穿たれたもので、2本目は巾の広い尾根に穿たれているため、横に長く横堀形状を呈している。その上に数段の腰曲輪群があり、尾根筋を登って行くとニノ郭に到達する。ニノ郭の西側には、西郭があり、横矢の掛かった小さい横堀でニノ郭と区画されているが、この横堀はかなり浅いもので、ほとんど溝に近く分断効果はあまりない。西郭の先には虎口があり、その先を小堀切で防御している。主郭はニノ郭より更に尾根筋を登った所にあるが、切岸はあまり明瞭ではない。しかし西側には腰曲輪群を備え、そこから南に降った所に堀切と小郭が築かれている。以上の様な感じで、明らかに城郭として築かれた遺構であり城域も広いが、遺構としては比較的簡素なものである。尚、徳願寺には北川殿の墓が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.959684/138.346957/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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