SSブログ

鷲頭山砦(静岡県沼津市) [古城めぐり(静岡)]

DSC07335.JPG←尾根道の二重堀切
 鷲頭山砦は、小田原北条氏が築いた砦である。1569年に武田信玄が駿河に再侵攻した際、北条氏康の命によって雲見上の山城主高橋氏高が築いたと言われている。その後一旦、甲相同盟が結ばれて和睦したが、越後上杉氏の内乱「御館の乱」を巡って北条氏政と武田勝頼は再び対立し、両軍は駿河東部で激しい攻防を繰り広げた。その中にあって、伊豆半島西岸の要衝獅子浜城の背後を扼し、駿河湾全体を俯瞰できる鷲頭山砦は、物見番所としての機能と、伊豆半島西岸部の水軍基地から内陸部の韮山城への狼煙網を中継する機能を併せ持ち、極めて重要な砦であったと考えられる。

 鷲頭山砦は、獅子浜城の背後にそびえる標高392mの鷲頭山山頂に築かれている。鷲頭山と東方の大平山を結ぶ稜線は、沼津アルプスと呼ばれ、多数のハイカーで賑わうトレッキングコースとなっている。その為、登り口さえ間違えなければ、道や案内板が整備されているので、迷わずに登ることができる。(私は参考にしたHPに、間違ったルートマップが載っていた為、登り口を間違え、途中で道が途絶し、大変な目に遭った。)但し、登頂比高は高く、稜線に取り付いてからも砦までは尾根縦走の長いルートであるので、それなりの装備と覚悟が必要である。多比口から登って稜線に取り付き、この縦走ルートを西に辿ると、砦からかなり離れた位置に堀切や段曲輪の遺構が確認できる。一部は二重堀切を穿つなど、この尾根上の連絡路をかなり重要視していたことが伺われる。何しろ、この道を北東に辿れば大平新城に至り、鷲頭山から北に行けば戸倉城に通じる要路であったのである。これらの遺構を見ながら登って行くと、ようやく山頂の主郭に到達する。主郭は広い平場となっており、西側に土塁状の高まりが見られる。東側や南側には数段の腰曲輪を伴っている。主郭北側には土塁囲郭のようなものがあるらしいが、冬でも藪が深く不明である。主郭から北西に尾根を下って行くと、標高330mの小鷲頭山があり、ここも出曲輪であったと考えられている。ここには「中将さん」と呼ばれる平重衡の「終焉切腹之場」が祀られている。(ただの伝説であろうが。)小鷲頭山の北西の尾根を下って行くと、岩場の先に堀切があり、備えを固めていることがわかる。遺構としてはささやかであるが、駿東での抗争の際に重視された砦として、貴重である。
山頂の主郭→DSC07364.JPG
DSC07396.JPG←小鷲頭山の先の堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.059334/138.893956/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント