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城之崎城(静岡県磐田市) [古城めぐり(静岡)]

DSC05007.JPG←球場の周囲に残る城塁
 城之崎城は、見附城とも言い、徳川家康が築城途中で放棄した城である。一説には、古く平安末期の寿永・建久年間(1182~1190)に遠江守となって当地に入部した安田三郎義定が築いたのが始まりともされるが、定かではない。その後、応仁の乱の時、今川義忠の遠江侵攻により生起した今川氏と遠江守護斯波氏との抗争の際に、一時的に城塁として機能したと推測されている。城之崎城が歴史上に明確に現れるのは、1569年正月に徳川家康が築城した時で、山本帯刀成氏(成行)の縄張りで見付宿の東方山続きの「旧塁」を崩して新城を築こうとした。この頃家康は、武田信玄と連携して東西から今川領を挟撃しており、駿府を逃れて掛川城に籠もった今川氏真を包囲攻撃していた。しかし掛川城の守りは固く、同年5月に氏真と講和を結び、掛川城が開城となると、城之崎城は未完のまま放棄され、1570年6月に曳馬城へ移った。そして曳馬城を一郭として取り込んだ形で新たに浜松城を築城した。

 城之崎城は、磐田原台地の南、今之浦川とその支流に挟まれた段丘上に築かれている。かつての主郭は、現在は城山球場に変貌し、ニノ郭とされる場所は磐田東高校となっている。その為、遺構はかなり破壊されているが、球場の外周には土塁が残り、特に北西角には櫓台があったと思われる高土塁が残っている。その北の外郭らしい高台には小さな神社が鎮座している。球場の東側には空堀跡が広い低地となって残っている。破壊を受けたにも関わらず、思ったより城塁らしい雰囲気をよく残している。
空堀跡の低地→DSC04995.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.722585/137.864975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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