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早坂山楯(山形県米沢市) [古城めぐり(山形)]

IMG_1335.JPG←城内最大の堀切
 早坂山楯は、歴史不詳の城である。鷺城の第1山城とする見解もあり、位置付けも明確ではない。早坂山楯を含む鷺城は、1804年の『米沢地名選』によれば(1)戸板山館、(2)土肥館、(3)大津土佐守、(4)鷺ヶ城、(5)鷺館の5通りの名称があり、城主についても(1)土肥備中守、(2)土肥単多備中守、(3)大津土佐守、(4)小梁川泥藩の4名が記されており、判然としない。近年の考証では、何段階かの変遷を経て築城されたと推測されており、早坂山楯は初期の城郭として、山頂の早坂山に築かれた山城と山麓の根小屋から構成されていたものと考えられている。この初期形態の城が『米沢地名選』に言う、戸板山館と城主大津土佐守であろうとされる。

 早坂山楯は、羽黒川の東岸にそびえる標高502.8m、比高233mの早坂山山頂部に築かれた山城である。第1居館とされる西側の谷戸から登ったが、明確な道はなく、適当に斜面を登って尾根筋に出て、そこから尾根伝いに登城した。尾根までの登攀は大変だが、尾根にさえ出てしまえば藪も少なく踏み跡が残っているので、城までは楽に辿り着ける。最初に虎口があり、そこから腰曲輪を経由して城域に入る。おびただしい数の帯曲輪群で構成された城であるが、一つ一つの曲輪は小さく削平も明確ではない。主郭やニノ郭といった主要な曲輪は、数段の複数の郭群で構成されているらしい。特に防御が厳重なのは主郭群で、その入口郭は土塁で虎口を防御し、後ろに櫓台を備えた囲郭となっている。その先に三角点のある主郭群最上部の曲輪となるが、いずれにしても数名しか籠もれないような小さな曲輪である。主郭群の背後尾根にも三ノ郭群と思われる曲輪群が連なり、そこには中・大・小・中と4つの堀切が曲輪を挟んで穿たれている。最も大きい2つ目の堀切は深さ5m程あるが、鋭さは余り感じさせない。早坂山楯は、堀切の規模から考えて戦国期の遺構と思われるが、縄張りは旧態依然としたもので、戦国後期には西麓の鷺城に主体が移ったと考えられる。
主郭群入口郭の土塁→IMG_1278.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.888360/140.155954/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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