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小篠塚城(千葉県佐倉市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_0775.JPG←主郭の堀と土塁
 小篠塚城は、下総の名族千葉氏に関連する城であったと考えられているが、詳細は不明。鎌倉時代には、千葉宗家直臣の平河氏、宍倉氏らがこの地を知行していたらしいので、小篠塚城もこうした地方領主の城であった可能性が考えられる。その後の歴史も不明であるが、一説には、享徳の大乱の最中の1471年に、出陣の留守中に古河城を失陥した古河公方足利成氏が、千葉孝胤を頼って佐倉に逃れた際、この小篠塚城に入ったとも推測されている。また1502年にも古河公方足利政氏・高基父子が小篠塚城に動座したとも言われるが明証はない。戦国後期には、千葉氏の本拠本佐倉城へ繋がる街道を押さえると共に、臼井城岩富城との繋ぎの城として機能したものと推測されている。

 小篠塚城は、現在正慧寺の境内となる他、正慧寺によって城址公園として整備されている。鹿島川北岸の段丘先端部にある、比高20m程の小丘を利用して築かれており、西側に主郭を置き、その東に3つの曲輪を縦横に配置した群郭的縄張りとなっている。保存状態が最も良好な主郭は、外周に土塁が廻らされ、北と東に堀を穿ち、ニノ郭に繋がる虎口に掛かる土橋に対しては、塁線を屈曲させて横矢が掛けられている。しかし堀も横矢も規模は小さく、ささやかなものである。この他、二ノ郭や三ノ郭にも土塁が残り、南側には腰曲輪も廻らされている。四ノ郭は正慧寺の建築で改変されている。小篠塚城に見られる群郭的縄張りは、陸奥篠川城などの御所的城郭とも共通しており、古河公方がこの城に拠ったという説もあながち否定できるものではに無いように思われる。尚、この城は寺が自費で城跡を整備し、解説板や標柱まで立てており、非常に頭の下がる思いである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.677675/140.223527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
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