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吉沢城(千葉県市原市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_1018.JPG←大堀切
 吉沢城は、平蔵城の支城である。城主は、平蔵城主土橋氏の一族、土橋平蔵忠勝であったと言われ、1590年の小田原の役の際、本城である平蔵城が豊臣秀吉の派遣した軍勢に攻め落とされた際、吉沢城も命運を共にしたとされる。

 吉沢城は、小草畑川西岸にそびえる標高110m、比高55mの丘陵上に築かれた城である。南北に伸びる尾根上に連なる、3つのピークを曲輪に仕立てた、大きく3つの曲輪群で構成されている。背後の尾根を区切る堀切は、深さ10mにも及ぶ大規模なものであるが、それ以外の遺構は曲輪の削平も甘く普請が粗い。主郭も、どの曲輪だか判断が難しい。それというのも、普通に考えれば主郭に相当する、最も高所に位置して背後を大堀切で防御した広い最上段の曲輪は、削平が甘くほとんど自然地形に近いのである。そして、一番削平がしっかりしている曲輪は2段目に当たり、今一つピンと来ない縄張りである。曲輪群の間は堀切で分断されており、一部には明確な腰曲輪も確認できる。この他、大堀切の先にも四ノ郭らしい平場と物見台らしい2つの小ピークが見られ、堀切状の尾根道で区画されている。しかしいずれにしても、『日本城郭大系』に「城構えは南北朝時代を思わせるほど人工が加えられていない」と記載されている通り、普請が中途半端な城で、大堀切だけが見所という感じである。
 尚、城の北麓にある鳳来寺観音堂は、吉沢城守護の為に建てられたと伝えられ、往時の名残を伝える貴重な建造物である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.333982/140.187873/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
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