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平蔵城(千葉県市原市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_1097.JPG←三ノ郭の物見台状の土塁
 平蔵城は、この地の地方領主土橋氏の居城である。土橋平蔵という武士が、いつの頃かこの地に土着して平蔵城を築いたと言われており、「平蔵」という村落の名もこの武士の名前から付いたと考えられている。明応年間(1492~1501年)にはその裔、土橋平蔵将経が城主で、城の鬼門に西願寺を建立した。戦国末期の城主としては土橋守秀、土橋平蔵忠吉の名が伝わり、忠吉の時に小田原の役となり、豊臣秀吉の派遣した軍勢に平蔵城は攻め落とされ、忠吉は城から逃れて自刃したと伝えられている。

 平蔵城は、平蔵川の曲流部に付き出した、比高70mの緩やかな丘陵上に築かれた城である。主郭に近い山上には民家があるので、この城を巡るには民家の方の許可が必要である。幸い訪城時には間伐作業中だったので、お断りして歩かせていただいた。支城の吉沢城と同様、旧態依然とした縄張りで、堀切はなく、幾重にも連なった曲輪群だけで構成された城である。山頂には長方形に近い主郭があり、その周囲をニノ郭・三ノ郭と2段の曲輪が廻らされた環郭式の縄張りが、中心部の構造である。主郭先端とニノ郭先端にはそれぞれ、下段の曲輪に通じる城道を土塁状の尾根上に作っている。その先には三ノ郭の土塁があるが、物見台を兼ねていた様である。三ノ郭北東部には、郭内を分断するように堀が穿たれ、そのまま竪堀状に下方に伸びているが、あまり大きなものではないので、分断効果も限定的である。この他、中枢部の東斜面には多くの曲輪群が連なっているが、畑や民家に変貌してしまっている。大手道と考えられる登道の途中は切通し状の木戸口があり、右手に櫓台がそびえている。いずれにしても、縄張りの面白みには少々欠ける城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.338813/140.201348/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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