大渕館(兵庫県篠山市) [古城めぐり(兵庫)]
←土塁と空堀
大渕館は、土居の内とも呼ばれ、この地の土豪畑氏の居館と言われている。古書には「天正の頃、畑左近允能綱・同弾正守広等の住居」と記されていると言い、戦国後期には八上城主波多野氏に属していた。尚、畑氏は詰城として八百里城を構えていたが、明智光秀の丹波平定戦で落城している。
大渕館は、現在も城主の末裔の畑家の屋敷であり、その周囲に土塁と空堀が良好に残っている。ほぼ方形に近い単郭居館で、土塁には隅櫓台も築かれ、小土豪の居館の雰囲気を濃厚に漂わせている。県の史跡にも指定されており、よくぞここまで立派に遺構を維持してきてくれたと畑家の方々には感謝せずにはおれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.082568,135.256408&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
大渕館は、土居の内とも呼ばれ、この地の土豪畑氏の居館と言われている。古書には「天正の頃、畑左近允能綱・同弾正守広等の住居」と記されていると言い、戦国後期には八上城主波多野氏に属していた。尚、畑氏は詰城として八百里城を構えていたが、明智光秀の丹波平定戦で落城している。
大渕館は、現在も城主の末裔の畑家の屋敷であり、その周囲に土塁と空堀が良好に残っている。ほぼ方形に近い単郭居館で、土塁には隅櫓台も築かれ、小土豪の居館の雰囲気を濃厚に漂わせている。県の史跡にも指定されており、よくぞここまで立派に遺構を維持してきてくれたと畑家の方々には感謝せずにはおれない。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.082568,135.256408&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:居館
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