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三尾山城(兵庫県丹波市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_5621.JPG←櫓台を備えた主郭
 三尾山城は、「丹波の赤鬼」と恐れられた黒井城主赤井右衛門尉直正の弟、刑部大輔幸家が築いた城と言われている。1578年3月に直正が病没すると、幸家は直正の遺児直義を後見して黒井城を守った。同年11月、幸家が但馬竹田城へ出陣中に、その留守を突いた明智勢の攻撃によって三尾山城は落城したと言う。但馬から戻った幸家は、黒井城に籠って抗戦を続けたが、翌79年6月に波多野秀治が籠もる八上城が落城して波多野氏が滅亡すると、黒井城は孤立無援となり、同年8月に黒井城も落城した。

 三尾山城は、標高586m、比高456mの峻険な三尾山に築かれた城である。山頂までハイキングコースが整備されているが、その屹立する険しい山容に違わぬ厳しい登山となる。その険しさは、陸上自衛隊の山岳訓練に使われる程である。城自体は、高さのみを武器とした小城砦という趣で、曲輪はいずれも小規模である。三尾山はその名の通り3つの屹立する峰を持ち、三尾山城はそれら3つの尾根を城域に取り込んでいた様である。主郭は主峰に置き、主郭中央には櫓台と思われる大きな土壇が築かれている。周囲の薮の中には、帯曲輪や前面の段曲輪群が築かれて防御を固めている。一方、主峰の北の中三尾にも曲輪があり、二ノ郭群と思われる。主郭群とは地形的に離れており、一城別郭の構造である。ここも最高所の物見状の曲輪の南側に数段の腰曲輪が築かれ、北西へも2段程の舌状曲輪が続いている。城中最大の曲輪は、この主郭群とニノ郭群を繋ぐ鞍部の曲輪で、おそらく三ノ郭であろうか。西辺に土塁を築き、西と東に帯曲輪を築いている。特に西の帯曲輪へは、虎口も築かれている。この他に北東にそびえる前三尾にも物見の小郭があるようだが、体力と時間の関係でパスした。三尾山城は、道として整備されている部分以外は藪が多く、遺構にしても高さだけを武器にした城らしく、堀切も無く、あまり技巧性がないのでパッとしない印象である。とにかく私がよく参考にしているHP「風雲戦国史」の山城探訪の中で、「遥かな山上の城」と記載される通りの山城で、その険しさは比高の大きな山城が多い丹波の城郭の中でも群を抜く厳しさである。
 尚、北東麓からの登山道沿いの沢の水がとても冷えている上に大変美味しく、今まで山で飲んだ水の中では一番美味しかった。
主郭北側の段曲輪→IMG_5609.JPG
IMG_5590.JPG←鞍部の曲輪
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.131316,135.149335&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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