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月館城(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1674.JPG←北西端の円弧状の横堀
 月館城は、赤岩城主熊谷氏の支城である。築城には諸説あり、建武年間(1334~38年)に熊谷直延が居城としていたとも、1481年以降に赤岩城主11代熊谷直定の子直政が築城したとも言われている。熊谷氏一族の事績については赤岩城の項に記載する。1533年以後の熊谷氏一族の内紛では、月館城主熊谷氏も重要な役割を演じた。1578年12月に、月館城主4代熊谷掃部直澄が挙兵し、本家の赤岩城主を凌ぐ勢力を有していた長崎楯城主熊谷直良と松川で合戦して敗死させると、40年以上も続いた熊谷氏の内紛は、月館城の勝利で終止符が打たれた。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置で主家葛西氏が所領を没収されて没落すると、熊谷氏も同様に所領を失い、月館城は廃城となった。

 月館城は、赤岩城の北西800mの位置、標高70mの丘陵上に築かれている。東側に続く稜線との間は堀切で分断しており、その南の谷戸に沿って、腰曲輪らしい平場が何段か確認できる。山上の城は、大きく主郭とニノ郭の2つの平場で構成され、主郭内部もわずかな段差で2段に分かれている。主郭とニノ郭外周には腰曲輪が廻らされ、北西端は円弧状の横堀で防御している。またこの横堀から武者走りで繋がった北端部にも、堀切で分断された独立堡塁がある。主郭と二ノ郭の間にも箱堀状の浅い堀切があり、よく見ると主郭側の切岸に石積らしい跡が見られる。ニノ郭の南側には段曲輪群が数段続いている。月館城は、赤岩城と比べるとさすがに規模は小さいが、横堀を備えるなど赤岩城よりもやや進んだ築城技術を取り入れている様である。
東尾根との間の堀切→IMG_1642.JPG
IMG_1698.JPG←堀切に見られる石積みらしき跡
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.920405,141.543067&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
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