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中楯(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_1755.JPG←二ノ郭と主郭
 中楯(中館)は、赤岩城主熊谷氏の支城である。築城には諸説あり、建武年間(1334~38年)に熊谷直高が居城としていたとも、1438年に磐井郡中里にいた熊谷直継が築城したとも言われている。熊谷氏一族の事績については赤岩城の項に記載する。1533年以後の熊谷氏一族の内紛では、中楯城主熊谷氏も重要な役割を演じた。1574年4月、中楯城主熊谷上総直平が挙兵して赤岩城・長崎楯月館城を攻撃した。葛西晴信は熊谷一族に命じて中館を攻撃させ、直平一族は大敗して自刃し、直平の子直勝は、気仙郡に敗走した。その後、長崎楯城主2代直正の子直房が中楯城主となった。その後は1590年に豊臣秀吉の奥州仕置で主家葛西氏が所領を没収されて没落すると、熊谷氏も同様に所領を失い、中楯は廃城となった。

 中楯は、熊谷氏本城の赤岩城から西方に直線距離でわずか650m、松川川対岸に位置する丘陵上に築かれている。西の鞍部まで車道が通っており、その脇から誘導杭に従って登ることができる。月館城と同様、大きく主郭・ニノ郭で構成され、その周辺に腰曲輪・段曲輪を廻らした構造となっている。主郭には祠があり、二ノ郭は公園化されて見晴らしが良い。特に二ノ郭では、地元の方達が熊谷直宗の750年法要のために作った紅白の旗が青空の下に翻り、あまりの整備の良さにびっくりしてしまった。しかし、主郭・ニノ郭以外の曲輪はほとんど手付かずである。ニノ郭への登り道の途中にも、腰曲輪の平場があるが耕地化されている。西の丘陵基部は赤岩城や月館城と同じく堀切があったと思われるが、林道開削で改変されている。中楯は、赤岩城・月館城と比べると、遺構の規模・構造ともに最も簡素な作りである。
ニノ郭の腰曲輪→IMG_1749.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.916247,141.543345&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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