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龍ヶ崎城(茨城県龍ケ崎市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9198.JPG←二ノ郭周囲の急斜面
 龍ヶ崎城は、江戸崎城を本拠とした江戸崎土岐氏の支城である。元々は、下河辺氏の流れを汲む龍ヶ崎氏の居城であったと伝えられている。龍ヶ崎氏滅亡の後、1567年に江戸崎城主土岐治英が改修し、翌年次男の胤倫を城主にして守らせた。1583年には佐竹氏に攻め落とされたが、間もなく土岐氏は龍ヶ崎城を奪還した。土岐氏は小田原北条氏に属したため、1590年の小田原の役の際に豊臣方の佐竹氏の攻撃を受けて落城し、そのまま廃城となった。役後、龍ヶ崎は常陸一国を安堵された佐竹氏の支配下となり、佐竹義重の次男葦名盛重(義広)が入部した。盛重は、間もなく江戸崎城に居城を移した。

 龍ヶ崎城は、比高15m程の紡錘形をした独立丘陵上に築かれている。往時は堀切で分断された東西に連なる3つの曲輪で構成され、中央が主郭、西側が二ノ郭であったが、主郭は採土で消滅し、二ノ郭と先端の笹曲輪だけが地勢を残している。しかし残った二ノ郭も龍ケ崎第2高校の校地となって大きく改変されている。曲輪の西端には鹿島神社があり、その周辺だけ辛うじて旧状を残しているようにも思われるが、明確な土塁もなくよくわからない。笹曲輪は御嶽神社があり、由緒によれば土岐氏時代に氏神として大日社が祀られていたらしい。ここも残っているのは地勢だけで、形状は大きく変えられてしまっている様だ。結局、城址の高台のみが城としての痕跡である。この地域には珍しい丸馬出しまで備えた城だったらしいが、現状が残念でならない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.908466/140.191834/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世平山城
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