渋川城(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]
←民家の裏の土塁と堀跡
渋川城は、1572年に真田幸隆らの武田勢が白井城を攻略した際、武田方に与した渋川地衆が築いたとされる城である。しかし白井城を逐われた長尾憲景は、逃れた八崎城より反撃に転じ、武田勢を破ったと言う。
ちなみに同じ渋川城の別称がある入沢城があり、そちらの方が歴史が古いので、こちらは渋川新城と呼んだ方がわかりやすいかも知れない。
渋川城は、正蓮寺の境内と民家の敷地となっている。周囲を2つの小河川で囲まれ、3~4m程の段差で区切られた要害地形である。明確な遺構は少ないが、堀跡の水路(前述の小河川)が残り、正蓮寺の西側の民家西には土塁が確認できる。その西側に車道が通っているが、堀切の名残であろう。遺構は僅かだが、正蓮寺に城址の石碑が建ち、城の歴史を伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.497942/139.002178/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
渋川城は、1572年に真田幸隆らの武田勢が白井城を攻略した際、武田方に与した渋川地衆が築いたとされる城である。しかし白井城を逐われた長尾憲景は、逃れた八崎城より反撃に転じ、武田勢を破ったと言う。
ちなみに同じ渋川城の別称がある入沢城があり、そちらの方が歴史が古いので、こちらは渋川新城と呼んだ方がわかりやすいかも知れない。
渋川城は、正蓮寺の境内と民家の敷地となっている。周囲を2つの小河川で囲まれ、3~4m程の段差で区切られた要害地形である。明確な遺構は少ないが、堀跡の水路(前述の小河川)が残り、正蓮寺の西側の民家西には土塁が確認できる。その西側に車道が通っているが、堀切の名残であろう。遺構は僅かだが、正蓮寺に城址の石碑が建ち、城の歴史を伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.497942/139.002178/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
渋川の市街地で駅から歩ける範囲に遺構が残る城があるんですね。
地図で見ると堀の役目をした水路が三方向に残っています。
白井城から渋川駅まで歩いた時に周辺を通ったので、渋川城跡に寄るんだったと少し後悔しています。
これまでの見学した城のブログと今度行く城の下調べや準備で大変ですが、今後も知らない城、行ったことのない城を取り上げるのを楽しみにしています。
by 史学会帰り新参 (2019-04-04 20:12)
>史学会帰り新参さん
先日の国府台合戦古戦場巡りは、寒い中お疲れ様でした。
渋川城は遺構があるとは言っても僅かなので、ちょっと残念な感じです。白井城と比べたら雲泥の差です。
山はそろそろ野生生物がやばい感じになりつつありますが、
(先日マダニにたかられて過去の悪夢が蘇りました)
防護に気をつけながら、お互い頑張りましょう~!
by アテンザ23Z (2019-04-04 22:44)