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兵庫館(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2175.JPG←櫓台らしい土壇
 兵庫館は、中ノ目館とも言い、奥州探題大崎氏の重臣中目兵庫頭隆政の居城と伝えられる。中目氏はこの地の豪族で、大崎氏が奥州探題として下向すると、大崎氏に臣従したらしい。戦国末期の中目氏当主の隆政は、仁木遠江守隆家・里見紀伊守隆成・渋谷備前守隆時らと共に大崎四家老に名を連ねる重臣であった。その活躍は、1588年、大崎氏の内乱に伊達政宗が軍事介入した大崎合戦でも見られ、桑折城に立て籠もった大崎勢の侍大将の一人とされる。1590年の葛西大崎一揆では、中目相模が兵庫館に立て籠もったと伝えてられている。伊達政宗の家臣で松山城主遠藤出羽高康の父遠藤心休斎の軍勢によって兵庫館は攻め落とされ、中目氏は没落した。

 兵庫館は、鳴瀬川北方の平野部の独立低丘陵に築かれている。大きく2~3段の曲輪で構成されていたらしく、北東の一番高いところが主郭で、その西から南にかけて平場が広がっている。主郭は西辺に低土塁があり、北西角には櫓台らしい土壇がある。ここに小さな神社が建ち、館跡の標柱が立っている。それ以外は草薮で覆われている。主郭の西から南に広がる曲輪は畑に変貌している。この他、館跡の外周には腰曲輪らしい平場も見られ、東と南の裾を流れる水路は堀の名残りであるらしい。往時は、西方2.5kmの位置にある師山城と同様、低湿地帯に囲まれた浮島の様な城館だったと思われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.544037/141.005520/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


戦国時代の南奥羽社会: 大崎・伊達・最上氏

戦国時代の南奥羽社会: 大崎・伊達・最上氏

  • 作者: 遠藤 ゆり子
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: 単行本


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