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馳取城(宮城県富谷市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_5846.JPG←主郭西側の大空堀
(2019年11月訪城)
 馳取城は、鶴巣楯主黒川安芸守晴氏(月舟斎)の長男、長三郎春氏の居城と伝えられる。鶴巣楯の北西1.9kmと指呼の位置にあり、両城が相互に連携して防衛に当たっていたと推測される。

 馳取城は、標高50m、比高30m程の丘陵上に築かれている。この城へのアプローチは困難を極める。この城が築かれた丘陵は、広大な耕作放棄地で荒れ果てており、ほぼ全山、激薮に埋もれている。私は城址標柱の立つ南東麓から登ったが、途中では背丈を越える笹薮が密生しているので、ゴーグル・GPS・スーパー地形・(帰り道を辿るための)マーキングテープ・日没までの余裕のある時間、これらが揃ってないと踏査は無理である。遭難の可能性も十分あり、キャッスリング上級者向けであることを始めにお断りさせていただく。ちなみに1/25000国土地理院地形図に描かれている南東麓からの実線の山道は、田畑のすぐ先で密生した薮に阻まれ、実際に辿ることは困難である。
 しかし遺構の規模は大きい。薮がひどいので全容は確認できていないが、主郭周辺と南の尾根から派生する南東尾根の遺構が確認できた。田畑の西側から南東尾根に取り付くと、細尾根上の曲輪群の先端を小堀切で穿ち、尾根の西側には延々と横堀を築いて防御している。また南東尾根の東側にも帯曲輪と、更に下方に平場が見られ、田畑との間に水堀跡が残っている。南東尾根の付け根にも中規模の堀切が穿たれている。その先の、主郭南の尾根には堀切による障壁とクランク動線(桝形虎口?)がある。その先は薮が密生した耕作放棄地があり、それを越えると大空堀に囲まれた主郭に至る。主郭は北の断崖に臨む曲輪で、西側と南側に高土塁を築き、その外周には深さ5mを超える大空堀が廻らされている。主郭北西角は、塁線が内側に折れており、空堀もクランクして横矢が掛けられている。主郭内は3段程の平場に分かれ、北に向かって段々に降っている。主郭の東側には堀切を挟んで二ノ郭があり、ニノ郭にも南と西に土塁が築かれている。南に虎口があり、ここから南斜面を下ると、堀跡が残っている。ほとんど埋まっているが、その形状から推測して泥田堀だった様である。
 馳取城は、大空堀に高土塁と、さすがは鶴巣楯を築いた黒川氏の嫡子の城だけのことはある。いつの日か、薮が伐採されて遺構の全貌が現れる日を望みたい。
南東尾根の横堀→IMG_5828.JPG
IMG_5923.JPG←主郭の高土塁

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.427706/140.884584/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


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史学会帰り新参

お久しぶりです。
遺構はよく残るみたいですが、猛烈な藪の城跡ですね。植物も1Mを越えると先が見えないので進むのが大変で比高30Mの城では難儀しそうです。通常の装備では突入出来ない気がします。鉈を持ってきて道を作るのが一番いい気がします。先日行った城は藪が酷い所は15センチ間隔で竹が生えていて通常装備での突入を断念しました。その城といい勝負ですね。
by 史学会帰り新参 (2020-04-28 22:12) 

アテンザ23Z

>史学会帰り新参さん
こちらこそご無沙汰しております。
コロナ騒ぎで城歩きもできなくなって、日々鬱々としております。
薮地獄には、10年前と比べればかなり慣れていて、大抵のところは踏破できる自信があるのですが、それでも馳取城はなかなか厳しかったです。一時、撤退を考えたほどでした。しかしスーパー地形で予測される遺構が大規模だったので、執念で踏破しました。遺構が素晴らしいだけに勿体ないです。
史学会帰り新参さんも、コロナに罹らないようご自愛ください。
by アテンザ23Z (2020-04-29 00:00) 

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