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舟戸城(栃木県芳賀町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN3346.JPG←三ノ郭の屈曲する堀切
 舟戸城は、宇都宮氏の支城である。築城者・築城年代は共に不明であるが、伝承では応永年間(1394~1428年)に水沼主水勝侶が築いたとも、天文年間(1532~55年)に宇都宮氏の家臣水沼五郎が築いたとも言われている。宇都宮国綱が宇都宮氏当主であった時代の『宇都宮二荒山神社家臣名簿』には「舟戸城に風見信濃守居住す」と記載されており、戦国末期には風見信濃守の居城になっていた様である。尚、北東の平地には水沼城があり、舟戸城は水沼城の有事の際の詰城だったとも考えられる。

 舟戸城は、野元川西岸の比高20m程の丘陵南端に築かれている。南から順に、ニノ郭・主郭・三ノ郭・四ノ郭と並んだ連郭式の縄張りとなっている。四ノ郭と主郭は墓地となって改変を受けているが、遺構は比較的よく残っている。四ノ郭の墓地に車を止めて、南に進むと、すぐに小道の両側に三ノ郭との間を分断する堀切が現れる。特に道の西側の堀は、内側に土塁を築き、クランクの屈曲を設けて横矢を掛けている。この堀の西端は、三ノ郭西側に横堀となって回り込んでいるが、すぐに腰曲輪に変化している。三ノ郭は竹林で、西側に段々に腰曲輪が築かれている。更に南に進むと墓地があり、そこが主郭である。主郭の北側にも堀切が穿たれ、小道の西側の堀は、主郭の西側に回り込んで横堀に変化し、延々と南に伸びている。この横堀はニノ郭先端まで伸びている。主郭と二ノ郭の間にも堀切が残存し、二ノ郭の先端にも堀切が穿たれている。ニノ郭は山林となっているが、方形区画の土壇があり、その周りは堀状地形となっているが、おそらく後世の改変と思われる。ニノ郭の南は自然地形であるが、堀切の前に小さな土壇があり、物見台ぐらいはあったらしい。この他、四ノ郭の北西にも空堀と土塁が残っている。
 舟戸城は、主要部が墓地化されているので、あまり期待していなかったが、しっかりと遺構が残っている。西斜面に腰曲輪や横堀を築く一方で、東斜面は急崖で腰曲輪もないことから、東方への防衛を意識した宇都宮氏の要害だったものと推測される。
主郭切岸と横堀→DSCN3380.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.524295/140.016342/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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